日本人が「思わず手を合わせてしまう」心理の深層 アニミズム的心性を伝えてきた「神道の歴史」
聖なる地位にある国王(皇帝)が天の意志を受けて統治する存在であり、そのことを示す儀礼が中国では重要な位置を占めている。これに対応するものとして、古代日本国家は神祇官をつくり、伊勢神宮と朝廷で天照大神を祀る儀礼を国の神聖な権威の柱とした。そして、記紀神話を編纂して神聖国家の儀礼システムの神話的支えとした。ここで確かに1つの神道の基盤が作られていることはまちがいない。古代律令国家の神道である。
ところが、この古代国家を中枢で支える儀礼や神話のシステムは、天照大神の神話と天照大神を祀る朝廷の祭祀だけで完結するものではなかった。全国の地域の神々という背景があって初めてその意義が明らかになるものだった。
記紀神話について言えば、神話のなかで出雲神話が大きな位置を占めている。スサノオやオオクニヌシの存在感が大きい。そして国づくりはこの系統の神々が行い、それをアマテラスに譲った(国譲り)ことになっている。高天原から国を治めるべく天孫を地上に降した神とその配下の神々(天津神)ともに、スサノオなどの大地に根ざした神々(国津神)が大きな存在感をもっているのだ。
神仏習合と霊威神
このように記紀神話は地方の神々の祭祀の重要性を認めている。だが、古代律令国家の祭祀のシステムのなかでは、地方の神々は大きな役割を果たしていない。では、地方の神々はどのように生きのびてきたのか。ここで大きな役割を果たしたのが、神仏習合の形で霊威ある神として崇敬者を集めた神々である。これらの神々はシャーマニズムとも結びついて、遠方からの参詣者も集め、各地に勧請されてもいった。八幡、稲荷、熊野、天神、祇園、また山岳信仰の神々等である。
アニミズムと深い関わりがあるシャーマニズムや、神々や死者の霊とやりとりする精神文化の歴史を振り返ってみよう。早い例は卑弥呼に見られ、奈良時代には八幡神や役行者(えんのぎょうじゃ)にその例が見られる。役行者はやがて修験道の祖とされる存在だが、神仏習合の山岳修行者の原型的な存在でもある。奈良時代にはすでにこうした行者が多数、活動していた。仏教界の中枢と国家からは、まともな僧侶の集団(サンガ)からはみ出した存在と見なされた行者たちだが、仏教を民衆に広める役割を果たしたとともに、大地に根ざした神々の威力を伝える存在でもあったのだ。
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