人が最期に遺すべきは「財」「事業」「人」だけなのか 良い影響を遺すために必要なのは「生きざま」
2日間の研修で新倉さんは、車いすを使うことを拒否し、立ったまま気力を振り絞って講義しました。車椅子を使って講義するというのは、本人のプライドが許さなかったようです。そして、研修をやり切った翌日の5月11日、74年の生涯を閉じました。
新倉さんは、ヘアーサロンの経営から1976年にコンサルタントに転じました。流通業・サービス業の創業支援が得意で、これまで数千社の創業を支援してきました。また、後進の指導にも熱心で、これまで1万人以上の後輩コンサルタントを指導してきました。新倉さんは、「事業」も「人」も遺したわけです。
ただ、新倉さんが私たちに遺してくれた最大のものは、今回の研修でも見せた仕事に賭ける情熱、もっと言うと「生きざま」でしょう。「生きざま」を後世に遺すということもあるのだと、新倉さんから気づかされました。
リストラの責任を取り、再就職せず独立
三人目は、田口研介さん(91歳)です。田口さんは、私がコンサルタントになるときにお世話になった方で、いわば師匠です。
3年前、後輩の私たちは田口さんから、「皆さんのためにまとまったお金を遺したい。有効なお金の活用方法を考えてほしい」という宿題をもらいました。なかなか良い資金活用策が思い当たらず、今日までずっと宿題を抱えたままでした。しかし、先ほどの新倉さんの一件があって、答えが見えてきました。
田口さんは、大学を卒業後、総合商社の安宅産業に入社し、タイの現地法人の社長や紙パルプ部門の部長を務めました。ところが、安宅産業が石油プロジェクトの失敗で1975年に事実上、破綻しました。順風満帆だった田口さんの商社マン生活は一転し、田口さんは部門責任者として事業の整理やリストラに追われます。
安宅産業は最終的に伊藤忠商事の傘下に入り、破綻騒動は一段落。さて、次は自分の身の振り方。総合商社の部長なら、取引先などを頼って好条件で再就職することも可能でした。しかし、ここで田口さんは「部下の首を切っておいて自分だけがのうのうと再就職するわけにはいかない」と再就職せず、独立してコンサルタントを始めたのです。
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