創業300年・中川政七商店が「違う土俵」へ行けた訳 山口周さん×中川淳さん対談(1回目)
山口:このビジョンは、いつ頃言葉として出てきたんですか。
中川:2007年です。サラリーマンを辞めて家業に戻ったのが、2002年。最初は担当した赤字部門を立て直すのに必死でしたが、2~3年で黒字化したんですね。そこで、仕事のモチベーションがグラッと揺れたんです。とりあえず自分の部門は黒字にしたけれど、この先、会社として何を目指すのか。何のために、この会社は存在するのか。これから20年、30年と仕事をしていくうえで、単に「利益を出し続ける」というだけの目的意識では続けていくのは無理だと思ったんです。
でも、うちは300年も続いている会社でありながら、社是とか家訓のようなものがいっさいなかった。父親(十二代・故中川巌雄氏)に聞いたら「そんなもの、あっても儲からんぞ」と言われました。それで、世の中のほかの会社はどうなのかと思って調べてみたら、大手企業のビジョンがたくさん載っている本があったんです。ただ、どれもいいことを書いてはいるんですが、ピンと来るものと来ないものがあって。
山口:淳さんがピンと来たのは、どういうビジョンですか。
中川:その会社がやっている事業とのつながりがちゃんと見えるビジョンですね。その言葉から事業の未来が見えるものはピンと来ました。一方で、「世界平和を」とか「子どもたちに明るい未来を」のような言葉を並べているビジョンは、たしかにいいことは書いてあるけど、事業と直接つながっているように見えない。自分でビジョンをつくるときは、そういうのは避けたほうがいいと思いました。
ビジョンを社内に浸透させるには?
山口:たしかに日本の場合、ビジョンとして掲げた言葉と実際にやっていることがまったく違う会社がいっぱいありますよね。書かれているビジョンに沿った形で「こういう事業をやりましょう」と提案すると、「いや、それはそれ、これはこれだから」と言われることが多いんです。表向きのビジョンよりも現場の事情論が先行してしまう。
中川:それではビジョンを掲げる意味がないと思っていたので、2007年に「日本の工芸を元気にする!」という言葉を掲げたときは、公言した以上は必ずやるという強い覚悟を持っていました。社内は完全にポカンとしていましたが(笑)。
山口:日本の多くの会社では、ビジョンに基づいて一生懸命にやろうとすると、むしろ「青臭いことを言うなよ」とけむたがられるのがつねです。社員のみなさんもそういう世界で長く生きてきたから、淳さんが本気のビジョンを掲げたとき、ちょっと戸惑ったんでしょうか。
中川:いえ、それ以前に、そもそも何を言っているのかわからなかったみたいです。生活雑貨をつくっているので、自分たちが「工芸」の会社だという意識も薄かったのでしょう。
山口:打ち出したビジョンが社員にウケないと、すぐに引っ込めたり、べつのものに変えたくなるリーダーがよくいるんですけど、淳さんはそれを貫いてきましたよね。最初にポカンとされたビジョンを社内に浸透させるために、何かされましたか?