「母は昭和の時代の女性では珍しく、4年制の私立大学を出ていて、『キャンパスライフが楽しかった』という理由で娘の私にも大学進学を勧めました。私の周りも大学に行くのが普通という雰囲気で、当時の担任の勧めもあり、『情報系の学問を学びたい』と思っていた私は、私立大学の理系学部をAO入試で受験しました。
当時、もう少し家計に関する危機感を植え付けられていたら、就職や専門学校も選択肢に入れていたと思いますよね……」
こうして、地元の私立大学に入学することになった小柳さん。第二種奨学金(有利子)を4年間で510万円借りることになった。高校時代のものと合計すると、570万円という金額だ。
「大学に進学すれば、高校の奨学金の返済は先延ばしにできますし、当時は母から『高校の奨学金は先延ばしせず、私が返しておいてあげる』と言われていたのもありました」
小柳さんが進学した大学の授業料は高く、また、課題も多い学科だった。3年生になってからは、部活動やバイトとの兼ね合いもあり、家に帰る日が少なくなっていったという。
「2年間は実家から通っていたのですが、課題で忙しくなり、友達の家に泊まることが増えてきました。当時は帰っている時間すらもったいなく思えたんです。
そこで、母が『大学の近所に住んだら?』と提案してくれ、一人暮らしをするようになりました。母からの仕送りは月5万円で、バイトで月5万円は稼いでいましたが、家は家賃3万円のところでした。飲食店でバイトしていたので、まかないを食べて無理やり生活を維持させていましたね」
リーマンショックが直撃
必死に目の前の課題に向き合っていた小柳さんだったが、時代も悪かった。リーマンショックが到来し、就職氷河期に突入したのだ。
「所属していたゼミにも企業からの案内はありましたが、当時は教授が学生全員に就職先を斡旋できるほどの余裕はなく、院生を優先していたので就職できない子も何人かいました。大学院に進む人もいましたけど、私はそんなに勉強が好きではなかったし、奨学金返済のために稼がなくてはなりませんでした」
そんな中でも、なんとか就職先を見つけることができた。だが、ここで高校時代に借りていた奨学金に関して、まさかの事態が発生する。
「高校の奨学金は母が返してくれると言っていたのですが、大学を卒業してしばらく経ってから高校時代の奨学金の返済通知が届いたんですね。おかしいな、と思い母に『返し始めてくれていなかったの?』と聞いたら、『弟の分の学費もあるから返せない』と言われました」
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