「突破者」宮崎学が絶対に譲らなかった矜持と生涯 具体的な差別と具体的に戦った作家の「遺言」

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宮崎氏は、差別は未来永劫なくすことはできないと断言する。差別は人間の業である。人間が存在する限り、差別はなくならない。しかし、いま・ここで行為としての差別をさせないことはできる。私たちにできるのはそこまでだ。具体的な差別と具体的に戦い、目の前にある差別を潰す。そのなかで差別を許さない力をつけていく。差別をなくす運動とはこれ以外のものではありえない。これが宮崎氏の考えだった。ここから上田の影響を読み取ることは難しくないだろう。

突破者の遺言

宮崎氏は差別と具体的に戦うことにこだわり、人権や平等といった抽象概念からは距離をとっていた。普遍的人権を押し立てれば、現実の社会に抽象的な無差別をそのまま押しつけることになるからだ。それはおそろしく非現実的な話であり、結果として「差別のない明るい社会」ではなく「差別がないことになっている暗い社会」を招くだけだ。宮崎氏は『近代の奈落』にそう記している。

しかし、人権や平等のためでないとすれば、何のために差別と戦うか。そのモチベーションは何なのか。宮崎氏は絶筆となった『突破者の遺言』で、差別との戦いについて率直につづっている。

「差別反対」は私も同じである。ただやり方が違うだけだ。私の場合、差別に反対するとは、私の目の前で差別している人間をぶん殴ることだった。正しいからそうするのではない。単に私が気に入らないからそうするだけだ。
なぜ気に入らないか。差別は弱い者いじめだからだ。弱い者ほど弱い者をいじめる。誰かを差別するということは「私は弱い者いじめをする弱い者です」と宣言するに等しい。だが、私はそういう連中に「恥を知れ」などとは言わない。いきなりぶん殴るだけだ。
だから私は自分のことを善人だなどとは更々思っていない。私は弱い者をいじめる弱い者をいじめるだけだ。「弱い者いじめいじめ」は悪かもしれないが、「弱い者いじめ」は極悪であるという確信だけは持っている。
私の結論は単純だ。〈差別との戦い〉は、永遠のもぐら叩きである。差別問題に根治療法はない。だから永遠の対処療法を続けるしかない。それゆえ差別を根治した気になって、「差別との戦いに勝利した」と祝ってはならない。そんなことはそもそもできやしないのだ。
差別との戦いに最終的な勝利はない。人間は差別との戦いに勝利するためではなく、敗北しないために永遠に戦い続けるしかない。それが差別と戦うということである。
突破者の遺言
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宮崎氏は生涯、この生き方を貫いた。まさに「突破者」と呼ぶにふさわしい一生だったと思う。

私たち常人には宮崎氏の生き方を真似ることは難しいが、ヘイトスピーチが横行している今日において、突破者から学ぶべきものはたくさんあるはずだ。

中村 友哉 「月刊日本」編集長

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なかむら・ゆうや / Yuya Nakamura

1986年、福岡県生まれ。早稲田大学卒。学生時代から『月刊日本』編集部で働き、2021年より編集長。

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