「突破者」宮崎学が絶対に譲らなかった矜持と生涯 具体的な差別と具体的に戦った作家の「遺言」
そして、「運動をやめたんも、こんなこというんも、わしが弱いからですわ」と付け加え、自嘲気味に笑ったという。
具体的な差別と具体的に戦う
私たちは上田の言葉が正しいことを知っている。日本には出自や性別などをめぐる差別が根強く残っており、街頭ではしばしばヘイトスピーチをまき散らすデモが行われ、ネット上では差別的言説が頻繁に飛び交っている。
しかし、この手の人間は上田のようなヤクザ相手に差別的な言動をとることはない。少なくとも、表立ってはしない。怖くてできないのである。差別主義者とはそういう卑怯な存在である。
上田の言葉はその後の宮崎氏の生き方や考え方に影響を与えたと思う。宮崎氏は部落解放運動について論じた『近代の奈落』(解放出版社、のちに幻冬舎文庫)という著作で、この本を書く過程で自分の父親が被差別部落出身だったことを知ったと明らかにした上で、おそらく周囲の人たちも昔からそのことはわかっていたはずだと記している。
しかし、宮崎氏は出自を理由に差別を受けた経験がないという。なぜか。長年にわたる部落解放運動の積み重ねが、宮崎氏に対する差別を防御してくれたのか。そうではあるまい。
宮崎氏が差別されなかった理由は明快である。父親がヤクザだったからである。ヤクザの組長の息子を差別すれば血を見るのは間違いないということを、みんなわかっていたからである。
もちろん心の中や陰で宮崎氏たちを差別していた人間はいただろう。しかし、少なくとも実際に差別されることはなかった。物理的な力を身につけることによって、目の前の差別を防いだのである。
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