「救いたくても救えなかった」消防士の無念 20年後だからこその阪神大震災の記憶と教訓
「あれはわしらの負けや」
最初に聞いた時はどういう事かわからなかった。
20年前に神戸の街を襲った阪神淡路大震災。当時、家屋倒壊や火災に見舞われた現場で消火活動や人命救助に当たった神戸市消防局の消防士は、「あの日」を振り返った。
より多くの命を救うために迫られた「選択」
今までに経験もなく、想像もできなかった大地震、そして火災。現場に駆けつけた消防士は、より多くの人を救うため、命の選択を迫られた。
「呼びかけに応答しない家には侵入するな」
住民が生きていないと判断された家は後回しにして、とにかく生きている人間から救い出す。そんな指示が出た地域もあったようだ。だが、現場の隊員にとって本意だったはずがない。
「確かに大災害が起きた時には実際助けられないことの方が多い。圧倒的に救助の人数が足りへんからな。全員の命を救う事は出来ひん。頭では割り切ってる。でも、消防士として目の前にある命、守るべき命を守れんかったら、それはわしらの『負け』なんや」
取材は2004年春。阪神淡路大震災から10年近くが過ぎていたが、筆者に話を聞かせてくれた消防士はその場で涙を流した。
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