「救いたくても救えなかった」消防士の無念 20年後だからこその阪神大震災の記憶と教訓

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災害現場においてオレンジの防火衣をまとい、命懸けで闘う消防士。彼らを描いた物語『ORANGE』の脚本を書くきっかけは、20年前の阪神大震災だった。

1995年正月。岡山に住んでいた高校2年生の筆者は、神戸・三宮の生田神社へ初詣に行った。それから2週間後、あの大災害が起きた。最初は自宅でニュースを見るぐらいだったが、数日後に「何か力になれないか」とふと思い立ち被災地に向かった。

初詣で訪れた神戸の綺麗な街並みはなくなり、全てが壊れていた。とにかく街を歩き、色々な所を回った。教科書でしか見た事がないような光景を目の当たりにして、大きなショックを受けた。この時、災害現場で活動していたオレンジ色の服を来た消防士の姿が強く記憶に残った。

その後、筆者は岡山に戻った。岡山県と兵庫県は隣り合わせ。新幹線で1時間もかからない。被災地では食料がほとんどなく、寝る場所もない人も大勢いたが、岡山に戻ってみると普通に食事もあり、風呂にも入れる。暖かい布団で寝る事も出来た。隣の県でこんな大変な事が起きているのに、自分たちの日常は変わらない。

被災のことを知ってもらいたい

「自分が何かできることはないだろうか。関係のない人にも被災のことを知ってもらいたい」

そんな思いを抱きながら高校を卒業。役者を志し劇団「PEOPLEPURPLE(ピープルパープル)」などを立ち上げているうちに、ふとしたきっかけから脚本家の仕事もやるようになった。そして2004年春。演劇舞台作品の台本として、当時見たオレンジ色の消防士の視点からの震災の物語を描いてみたいと考えた。

阪神大震災の当時に何が現場で起こっていたのか。消防士がどんな思いで震災と向き合い、現在も命を救う仕事に取り組んでいるのか――。これを多くの人に伝えたかった。高校生のときに抱いた決意が、動き始めた。

TBSテレビ『ORANGE~1.17 命懸けで闘った消防士の魂の物語』は1月19日(月)よる9時より放送

神戸市、西宮市、尼崎市。被災した自治体の消防士に取材を申し込み、計100人以上から話を聞くことができた。取材をしていくうちに、最初に思い描いていた構想はすぐに崩れた。消防士から聞いた内容は、想像を絶するものだったからだ。自分は震災のほんの一部分しか見ていなかった。この時、自分自身がこの作品に全身全霊で臨まなければならないと感じた。半年ほどかけて『ORANGE』を書き上げた。

舞台の初公演は2004年8月。それから10年、毎年公演を重ねてきた。小さな劇場、学校、消防署、公共ホールなど。これまでに40カ所近くを回り、累計で4万人近い観客に見てもらっている。そして2015年1月19日(月)、TBSテレビで初めてドラマ化される。

2011年3月の東日本大震災が起きたころから、この作品の意義も少し変わった気がしている。東日本大震災の直前にあった『ORANGE』の東京公演を見たお客から、「防災のために家具を金具で止めておいたことで、地震の際に家具も倒れる事なく、怪我もなかった」と連絡があった。この作品は、消防士、被災者、犠牲になられた方々のために書かせてもらった作品だと思っている。だからこそ、「防災」につなげなければならないんじゃないかと強く思い始めた。

『ORANGE』のテレビドラマ化に踏み切ったのは、こういう思いが強くなったからだ。より多くの人達に見てもらいたい。そして防災について少しでも考えてもらいたい。ドラマや演劇が、誰かの命を救うことになれば、こんなに素晴らしい事はない。

宇田 学 劇作家、演出家、俳優

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うだ まなぶ / Uda Manabu

2000年、劇団PEOPLEPURPLE旗揚げ、主宰。全作品の脚本・演出を手掛け、みずからも役者として活躍。大阪府を拠点に演劇活動を行う。阪神淡路大震災当時の消防士の活動を描いた舞台『ORANGE』を見たプロデューサーに誘われ、テレビドラマの脚本を手掛けるようになる。

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