「東大+京大+医学部」合格者TOP50校ランキング 上位は私立高優勢も公立高から18校がランクイン
いまでこそ「東大を目標にするなんて教育ではない」と豪語する開成や麻布、もしくは灘であっても、実は受験に傾倒した教育を行っていた時期があった。
開成は創立当初、「東大に合格するための学校」というわかりやすい新聞広告を出している。麻布には入学したばかりの中学1年生に対し、「帰宅したら机に墨で、東大絶対合格と書け」と指導する教員もいたという。灘も黎明期には、試験の結果でクラス分けをするどころか席順まで決めていたらしい。
つまり、受験重視か全人教育重視かの違いは、教育理念の違いではなく、学校としての成熟度の違いだと考えたほうがいい。すでに実績が出ている学校はそこを強調しなくていいので、結果的に教養主義や人格教育を打ち出せる。
ここに、華々しい大学進学実績を残して先輩が後輩の環境を守る文化があるからこそ、名門校は大学受験にとらわれない本質的な教育を続けやすいという逆説が成り立つ。
単なる進学校と名門校の違いは何か?
私は、いわゆる名門校30校を訪ね、その歴史をひもとき、名門校がいかにして名門校になるのか、単なる進学校と名門校の違いは何かを考察し、近著『ルポ名門校 「進学校」との違いは何か?』にまとめた。以下はその端的な結論である。
「〝いい大学〞に入れさえすれば、ただの進学校の関係者は満足だ。しかし名門校の教員は口をそろえて言う。『この学校の教育の価値がわかるまでには、卒業してから20年もしくは30年はかかる』。実際、20年後、30年後の卒業生の層の厚さが違ってくる」
「言ってみれば、名門校の華々しい進学実績は、学校が長い歴史のなかで培ったハビトゥス(人々の言動のもととなる性向や身体化された文化)によってもたらされている。単なる進学校のそれがシラバス(学習計画表)によって実現していることとの大きな違いだ」
「ひとはつい答えを求める。ただし答えがもたらす安心や幸せはほんの一瞬だ。でも問いは、生きる原動力になる。だとすれば、学校や大人の役割は、子どもの人生に一生消えない問いを残すことではないだろうか。それなのにいま、学校も大人も、答えばかりを教えようとしてはいないか。だとすれば名門校の教育とは、それぞれの生徒の人生に、痛いほどの問いを刻み込むことだといえる」
大学合格者数ランキングを見るときは、表面的な数字だけを見るのではなく、このような観点も頭の片隅に置いておいてほしい。
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