「あんな時代はもう二度と経験したくないが、このままいけば数年後、悪夢がよみがえってしまうかもしれない」
温和で笑顔を絶やさない男性の表情が、このときだけは険しくなり、ため息をついたまま黙りこくってしまった。
この男性は1980年代後半に大手銀行に入行、営業はもちろん、融資、審査、企業再生など幅広い業務に当たった後、役員にまで昇進した人物だ。
入行当時は日本中が不動産投資ブームに沸き立ち、バブルのうたげに酔いしれていた。89年には日経平均株価が史上最高値の3万8915円をつけ、市中にはマネーがあふれていた。融資案件も容易に獲得でき、銀行マンとしてのスタートは順風満帆だったという。
しかし、旧大蔵省の銀行局長が全国の金融機関に発した1通の通達で暗転する。
不動産融資総量規制──。異常ともいうべき投機熱を冷ますため、土地取引に流れる融資の伸びを抑える狙いがあった。
効果はてきめん、不動産向け融資の蛇口が閉められたことで、建設や不動産の取引が収縮。地価の下落が始まった。日銀による急激な金融引き締めも“劇薬”となり、バブル崩壊のきっかけを生む。
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