同じく"今太閤"と称された田中角栄ですら小学校は卒業したが、幸之助は小学校すら出られなかった。小学校を4年で中退した後、大阪ででっち奉公に出て実家を支えた(→関連記事へ)
23歳のときに電気機器の松下電気器具製作所(現パナソニック)を創業。当時珍しかった家電製品を日本の庶民層に普及させた。戦後、公職追放を受けるも復帰し、高度成長の牽引役となった(→関連記事へ)
1989年にこの世を去ったときの遺産額はなんと2500億円。これは日本人の遺産としては史上最高額といわれている(→関連記事へ)
1961年に社長の座を退いた後は、数多くの自著を出版し、成功哲学、人生論を率直に語った。豊富な体験に裏打ちされたシンプルだが深い言葉の数々は多くの日本人の心をつかんできた(→関連記事へ)
1933年、松下電器は日本で初めて事業部制を採用した。自分は監督者に徹し、事業の責任と権限を現場に任せたほうが人材も育ち、会社も大きくなるというマネジメントのポイントを誰よりも早く見抜いた(→関連記事へ)
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