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人間味あふれる経営の神様を愛弟子たちが語る "割れないガラス"落とし「割れるやないか!」

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松下幸之助の偉業や思想については膨大な著書を通じて知ることができる。しかし、より日常的な仕事ぶりや人使いは、直接薫陶を受けた身近な人物しか知らない。松下幸之助が逝去してから27年、弟子たちに話を聞いた。

部下に怒っても萎縮はさせない

谷井昭雄 元松下電器産業社長

(撮影:ヒラオカスタジオ)

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松下電器産業(現パナソニック)の4代目社長(1986〜93年在任)の谷井昭雄が松下幸之助に初めて接したのは61年、33歳のときだ。技術者だった谷井は当時、録音機事業部でテープレコーダーの開発を手掛けており、上司の事業部長に連れられて京都・真々庵(しんしんあん)にいる幸之助に試作機を見せに行った。当時、幸之助は66歳。すでに会長に退いていたが、新製品開発の報告を受ける習慣は続けていた。

幸之助は試作機を見ると、なめるように触り「君、技術屋か」と問いかけ、「はい」と答える谷井にこう続けた。「今、松下のどの工場でも、いいものを作ろうと品質管理をしてくれている。君、品質管理は非常に大事やで。でももっと大事なことがある。それは人質(じんしつ)管理や」。

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