確かに私は「選挙結果の無効化判決」が出続けていることに安心していた。ただ、「勝訴の判決が出ればいい」というものではなく、「どのような判決がでれば問題が解決されるのか」という視点が、私を含めた国民、そしマスコミには欠けていたようだ。
二つの憲法条文から見えてくる「民主主義」
ではそもそも「一票の格差」つまり「人口比例」の選挙が実現されていないことは、なぜ深刻なのか。読者諸君は的確に答えられるだろうか。
升永氏からは「人口比例の選挙でなければ、その国は民主主義ではない」という厳しい指摘をいただいた。
「なぜ民主主義でないのか」については、私がその場で氏から渡された六法全書の中から読み上げた、憲法の条文を補助線にすると大変分かりやすい。ぜひ、音読して頂きたい。
まず第56条の2項を見て欲しい。
第56条
2 両議院の議事は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、出席議員の過半数でこれを決し、可否同数のときは、議長の決するところによる。
この条文は噛み砕いて解釈すれば、「国の決め事は、国会議員の多数決で決まっている」ということである。そう、当たり前だが、「民主主義とは多数決」なのである。どんなに情熱があろうとも「過半数という多数」がとれなければ、反映されないのである。
ではその「国会議員」とはそもそもどんな存在なのか? 次は日本国憲法前文を読んでみよう。
日本国憲法前文
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
今はもっぱらの話題は、集団的自衛権をめぐる議論であり、戦争放棄をめぐる一文が話題になるが、ここでは「国民に主権がある」ということ、「正当に選挙された国民の代表者が権力を行使すること」が宣言されていることに注目して欲しい。
こうして憲法の第56条の2項前文を合わせて読むと、「国の決め事は、国民の代表である国会議員の多数決で決まっている。これが民主主義」ということが言える。
「なんだ、そんな当たり前のことか!分かっているよ!」と思った東洋経済オンラインに集いし、労働者、学生、市民諸君、甘いぞ、甘すぎる。
なぜならばここに「一票の格差」をめぐるキーワード「人口比例」を加えて考えると、恐ろしいことが分かるからだ。
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