小泉改革後の有権者に福田政権はどう映るか
福田康夫首相の活気のなさを見るにつけ、小泉純一郎元首相について思いをめぐらさざるをえない。躍動感にあふれていた小泉元首相は、政権の座に就くや否や”日本丸”を従来とは違った航路に導いた。しかし、安倍前首相と福田首相を見ていると、小泉時代とは日本の大きな流れの一時的な中断でしかなかったのかと思わざるをえない。
本当の改革者かどうかを判断する材料の一つに、後継者が彼の敷いたコースを進むかどうかがある。米国のルーズベルト大統領(民主党)は、共和党のアイゼンハワー大統領からレーガン大統領に至る歴代の共和党出身の大統領の誰も、彼の福祉政策を逆戻りさせることができなかったという意味で、本当の改革者であった。英国の例では、保守党のサッチャー首相から政権を奪取するために、労働党は古臭い社会主義者ではなく、彼女が敷いた”第三の道”を支持するブレアを党首に選ばざるをえなかった。この意味で、サッチャーも本当の改革者であった。
では小泉元首相の後継者である安倍前首相と福田首相は、小泉路線を継承しているのだろうか。両者とも小泉改革路線を継承しているとは言いがたい。福田首相は、小泉元首相が破壊しようとした自民党の派閥によって選ばれたからだ。
小泉元首相が成し遂げたことの重要性を否定する者はいない。彼は「改革なくして成長なし」という国民的な合意を形成しただけでなく、国民の間に改革への熱気を作り上げた。彼は首相の権限を大幅に強化した。際限なく増大する公共投資を逆転させた。竹中平蔵氏とパートナーを組んで銀行の不良債権危機を克服した。不良債権問題を解決しなかったら、景気回復は不可能であったろう。
にもかかわらずルーズベルト大統領やサッチャー首相との決定的な違いは、政権交代後に改革が続かなかったことだ。小泉元首相が表舞台から去ったら、自民党と官僚は手を組んで改革の流れを逆転してしまった。
小泉元首相が改革を永続化させる制度的な枠組みを残すことができなかった理由は、日本の歴史に深く根差している。日本は一党支配の民主主義から競争的民主主義への長い転換の真っただ中にある。万年与党は国民の要求から迂遠になり、万年野党は無責任になるものである。一党支配の国家はいずれ硬直化し、経済発展のために必要な政策の修正を行えなくなることは歴史を見れば明らかだ。安倍前首相の”世間知らず”や福田首相の”現実離れ”した対応は、万年与党の弊害を端的に反映している。この傾向は、明確で説得力のある政策を国民に示すことができず、選挙にばかり関心を抱いている野党の民主党にも見られる。