作家・猪瀬直樹がつづる、妻への思い

「さようならと言ってなかった」を読む

就職もせず、何の成算もなく上京した猪瀬さんを追って、ゆり子さんは夜汽車に乗った。以来、2人の子どもを育てながら教師として働いて家計を支えた。勝負をかけるべきテーマを見つけようともがく夫を支え続けてきた。いま、失意のどん底で、そのゆり子さんの思い出を書く。死してなお、夫の背中を押したのはゆり子さんだったのだ。

「おれが原稿用紙を前にウンウンうなってると、女房が楽しそうに鼻歌を歌いながら掃除機をかけてるんだよ。それを背中で聞きながら、すまないなあって思うんだよ」

猪瀬さんがちょっと照れくさそうに、でもちょっと自慢げに、そんなことをぽろりと漏らしたことを思い出す。

妻が残した、妻として、教師としての記録

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わがままで、不遜で、思い込んだら一直線の夫に寄り添い続けた、天真爛漫で楽天家の妻が倒れて意識を失ったとき、その枕元で夫は妻の書き残した記録を読むことになる。子どもたちのことや夫のこと、日常のエピソードがつづられている「保育園の連絡帳」。教師だったゆり子さんの「学級通信」。いかにも明るいゆり子さんの人柄がしのばれる。

中でも、ゆり子さんが言語障害児童の指導に当たった3年間の記録「微笑子の物語」には、ゆり子さんの大切な一面が現れている。ひとりの児童と向き合い、子どもの可能性を信じ、ときに辛い訓練を施しながら、その成長を心から喜ぶ、ひとりの教師の姿である。「微笑子」は3年のときを経て、言葉を身につけていく。「微笑子」の家族もそれによって少しずつ変わっていくのである。

ゆり子さんは良き母であり、良き妻であったが、同時に教育のプロフェッショナルでもあった。自分の仕事に邁進することで頭がいっぱいだった夫は、妻もまた充実した職業人としての時間を生きたことを、死に瀕した枕元で知ることになる。

“ゆり子が静かな寝息をたてている病室のモニターの画面に、赤や緑や青の波が無機質に揺れている。ゆり子と出会った、そしていまも同じ時間を共有している、それは、単に長い時間が通り過ぎていったということではなく、夜空の無数の星と同じくらい数えきれないたくさんの輝いた瞬間をいっしょにつくることができた時間であった。人と人が出会う、凄いことではないのか”

作家に戻った猪瀬さんが、再び書くべきテーマを見いだし、読者の信頼を取り戻すのは容易ではないだろうと思う。もう、背中にゆり子さんの鼻歌は聞こえない。それでも書くしかない、書くよ、と言ってほしいと、思うばかりである。

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