作家・猪瀬直樹がつづる、妻への思い 「さようならと言ってなかった」を読む
こうして猪瀬さんに叱られながら多くのことを学んだ。放送前日の深夜には翌朝の生放送の内容について、必ず猪瀬さんから電話がかかってくる。当時、出産したばかりだった私は、左腕で子どもを抱いてミルクを飲ませながら肩と頬で電話の受話器を挟み、右手でひたすら猪瀬さんの言葉をメモした。「君はどう思うのか」と延々と追い込まれながらも必死で返すうちに、伝えるべき物事の優先順位がいつのまにか見えてきて、生放送でも臨機応変に対応できるようになっていった。あのころの猪瀬さんは、私にとって、まさに「師」だった。
政治の世界へ
その後、猪瀬さんは道路公団改革、地方分権改革推進委員、そして東京都副知事と、作家として設計図を提示する役割から、政治のプレーヤーへとその立ち位置を移していった。猪瀬さんにとってどれも使命感をもって取り組んだミッションであり、充実した日々だったのだろうと思う。が、それは同時に、権力に対峙していた猪瀬さん自身が、権力そのものになっていくことでもあった。
いよいよ都知事選に挑むとき、久しぶりに電話をもらい「一声、応援演説してくれないか」と言われた。師が人生最大の勝負に挑もうとしているときである。本来なら喜んで駆けつけるべきだったのだろうが、ラジオの選挙特番のキャスターの仕事が決まっていたのでお断りした。が、白状すれば、そうでなくても何か理由をつけて断っただろうと思う。すでに下馬評は「猪瀬圧勝」であり、「権力と距離を取ること」を私は当の猪瀬さんから学んでいたのである。
その後のことは散々報道された通りである。短い時間に絶頂と絶望が訪れた。漏れ聞くところでは、猪瀬さんの「一直線のエネルギー」は多くの人を傷つけていた。たとえ志が正しくても、権力は諸刃の剣なのである。多くの人を惹きつける力は、同時に多くの人を傷つけもするのだ。猪瀬さんは急ぎすぎているようにみえた。
そして激動のさなかに、18歳と19歳で巡り会って以来47年間を共にした妻、ゆり子さんをも亡くしてしまう。
政治家として失った信用を、今再び、一作家に戻って取り戻そうとする第一歩が本書である。
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