中国の「静かな侵食」に台湾社会がおびえる理由 台湾社会のあちこちに影を潜める中国の存在

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20世紀初め、中国進出で他の列強よりも遅れていたアメリカが親米人士を育てるため、1911年に、義和団事件(1899~1901年)で清国から得た賠償金を充てたことがきっかけだ。現在でいう留米予備校のような教育機関の清華学堂が、列強によって破壊された清国の離宮の清華園に設立された。

全国からやってきた留学を目指す少年らに、四書五経を熟読する伝統的教育と英語などを組み合わせて教育するという、当時の中国では先進的な教育が施された。後に現代教育における学校や大学となっていくが、初めから理工系が有名だったわけではない。中国全土に名をとどろかせたのはむしろ中国の文学・歴史・哲学を包括した国学研究院で、甲骨文字研究のパイオニアである王国維、哲学者で思想家の梁啓超、国学の哲人といわれた陳寅恪、そして現代中国言語学の始祖である趙元任を同時に擁する、当時最高峰の研究教育機関だった。

理工系大学として地位を確立したのは、1931年から同大のトップとなった物理学者の梅貽琦によるところが大きい。清華大の歴史上、最も長く校長(学長)だった人物で、日中戦争の際、北京・清華・南開3大学の疎開先として昆明に設立された西南連合大学でも指導力を発揮した。国共内戦後は、蒋介石らとともに台湾に逃れた。

国共対立で分かれた1つの大学

そして、中華民国と自ら率いる大学の正当性を証明するため、台湾に清華大を設立する。台湾における原子炉設立のため、また、アメリカに残っている留学のための基金を共産党に取られないようにするためとも言われている。いずれにしても、こうして世界に清華大が2つできたのだった。

今日、台湾のテクノパークが新竹を中心に展開しているのは、この地に清華大があったからとされている。大学のホームページを見ると、ノーベル賞受賞者が3人もいることから、台湾の産業界の屋台骨を支えているのは間違いなく清華大である。一方、共産主義国となった中国での清華大は、ソ連の教育改革の影響もあって、文系は北京大など、理工系以外の学科は周辺の大学に移ってしまった。総合大学として再スタートするのは、1978年の改革開放を待たねばならなかった。

ところで習近平国家主席が主導する昨今の中国は、かつての毛沢東の文化大革命を彷彿させると言われることがある。その文革の波にいち早く乗って紅衛兵を組織したのは、清華の付属中学(高校)であった。闘争は大学にも波及し、学生同士が銃で撃ちあったとされる教室棟には、今も銃痕が残っていると言われている。

朱鎔基元首相、胡錦濤前国家主席、そして習近平国家主席――。改革開放後、北京清華大は産業界だけでなく、政界にも人材を輩出してきた。学生らだけでなく、大学のプライドもすさまじく高いのだ。

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