大谷翔平の二刀流を支えたマドン監督の凄い会話 「彼がやっていることを、私はやったことがない」
エンゼルス傘下のマイナー組織でコーチをしていた1994年のこと。左腕の若手投手の可能性を信じ、二刀流での起用を当時のゼネラル・マネジャー(GM)に提案したが、実現しなかった。そして23年後、二刀流選手への夢は大きく膨らんだ。
「カブスの監督だったとき(2017年オフ)、翔平と面談をしたことがある。彼の対面に座って、今までに見たことがない(投打の)映像を見た。非常に感激した」。その3年後、ともにプレーする機会に巡り合った。
何をすべきか、彼はわかっている
就任1年目の昨年、大谷は右前腕の故障でわずか2試合の登板に終わり、打者でも不振。自己ワーストの結果となった。だが、マドン監督は「初めて一緒に戦い、私にとっては学ぶ機会だった。(話を)聞いて、(プレーを)見て、彼は素晴らしいレベルのアスリートだった」と、観察と対話を繰り返したうえで能力の高さを再確認した。
「チャンスを与えれば、彼はこの世代でベストプレーヤーの1人になれる。多くの人にとってできないことができる」。信念は揺らがなかった。
開幕前の春キャンプでは、双方の思いを伝え合った。「そこからわれわれがぶれることはなかった」。二刀流で「毎日出場したい」という大谷の意志を尊重し、制限を外して自由な環境に置いた。
「たとえば、アインシュタインや、アスリートでいえば(アメリカのバスケットボール選手の)ルブロン・ジェームズ、マイケル・ジョーダン、彼らに対して監視するような人を置いてはいけない。制限される必要なんてない。自由が必要だ。そして、そうなったとき、正確に何が必要かわかるんだ」
潜在能力を信じ、解放し、そして二刀流の成功に導いた。一方で固い信頼を築くには、対話も欠かせなかった。
「彼がやっていることを、私はやったことがない。(身体的に)どう感じているのかは(本人しか)わからない」。だから、大谷とのコミュニケーションがまず最優先だった。春のキャンプから一貫して対話を重視。試合後や試合前も密に会話を重ねた。ときには携帯電話でメッセージを交換。体調面だけでなく、「今日の試合、よくやってくれた」とねぎらいの言葉をかけることもあった。
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