81歳の志茂田景樹「人生の9割は無駄」と語る理由 30代半ばまではほとんど後ろ向きで生きてきた
ラブシーンを吹き込んでいるときなど、運転中の若いスタッフは困惑しただろうね。カセットテープレコーダーを打ち出の小槌のようにして、どうにか、この時期を乗り越えられた。
こんな状況だったのに、毎夜のように銀座、六本木、麻布十番などで飲みまくっていたのよ。午前2時、3時まで、ときには朝になるまで。そんな時間、どこにあったんだろうな。
勢いがあったということかな。明日は朝から原稿を書いて、夕方からテレビ番組の収録が2本もあるという日でも、それでもへこたれないで、深夜から飲みに行った。
どんなもんです、と自分が威張ってみせて、いい気になっていた。でもね、心の中は充実には程遠く、空虚なものが淀んでいたなあ。ときに、地底にユラユラ落ちていくような虚しさと心細さを感じたものよ。
幸せだ、と思ったことは一度もなかったな。
今は、訪問看護、訪問入浴介助を受けながらの車椅子生活。朝ベッドに起き上がってスマホでメールをチェックしたり、ツイートしたり、ラジオを聴きながら新聞に目を通す。一瞬、ふっと幸せを感じるのよ。こんな心の余裕を持てているってことが不思議で、うれしくって、ということだろうね。
ベッドから車椅子に移るときも、一瞬、さっと微風がよぎるように、幸せを感じることがある。
僕は今スマホとパソコンを合わせて、使用時間は1日6時間を上限にしている。毎日、そうか、今日はまだパソコンを5時間使えるか、じゃ、昨夜、寝ながら考えたクライマックスの場面をじっくり書けるぞ、と思える。
さらにそう思った瞬間に、心に幸せの小さな渦ができるんだ。こんなときに感じさせるなよ、と愚痴ったときにはもういないんだ、幸せってやつは。
関節が痛まないよう手足、腰を慎重に使うので、車椅子に移るのは一苦労なのに。けどまた、感じさせてくれる。それが幸せってものなんだよ。
親友の裏切りに遭って大きく学んだきみが1段上のステージに上がる
刃物で串刺しにされたように感じるだろう。
でも非を悔いて許しを乞うてきたら
許してやろう。
ただ、それまでと同じに遇するな。
1段下のステージに下げろ、
と言っているんじゃない。
親友の裏切りに遭って大きく学んだきみが
1段上のステージに上がるんだよ」
僕は親友の裏切りに遭ったことがない。これは自慢にならないな。鈍感で、裏切られても、ピンとこなかっただけかもしれないもの。
来る者は拒まず、去る者は追わず。この言葉を処世訓の1つにしている人間だから、どこか甘いんだろう。去っていった人たちは随分いるけれど、本当はみんな裏切って去ったのかもしれねえ。
こっちがそう思わないなら、それはそれでいいと思う。鈍感に徹するのも、世渡り術の1つじゃねえか。