81歳の志茂田景樹「人生の9割は無駄」と語る理由 30代半ばまではほとんど後ろ向きで生きてきた

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高校時代には親友関係にあったけれど、卒業後は音沙汰なかったやつが、二十数年ぶりに前触れもなしにひょっこり現れたと思ったら、カネを貸してくれ、だった。それもかなりの大金だった。こっちが何も訊かないのに、事業資金だ、今、起業すれば大きく伸びるんだって、と説明したかと思ったら、いきなり土下座したんだよ。一生に一度のお願いだ、って。人に土下座されたのは生まれて初めてのことだった。

それまでに2人の人間から、土下座するやつは信用するな、と言われていたのよ。その場さえ切り抜けられれば、不誠実な人間ほど土下座をする。それも泣きながら哀れっぽく。元手は屈辱的な態度のみで足りる。

2人の人間の言うことは、ほぼ共通していたけれど、1人は受け入れていい土下座がある、と教えてくれた。

それは大迷惑をかけたことについて詫びを入れにきた場合で、そのときは受け入れていいそうだ。その土下座はその場を切り抜けるためではなくて、許してほしいという切なる願いの表れだという。

さて、僕は2人の人間から、土下座をする人間はダメだ、と聞いていたのではっきり断れた。

親友に懇願されて大金を貸した人

この話とは関係ないが、親友に懇願されて銀行預金を取り崩し、大金を貸した人を取材したことがある。何かの小説を書くときに役立つと思うので話だけ聞いてみたら、と知人からすすめられてのことだった。

いまだに小説の役には立てられていないけれど、その人の自分を裏切った親友に対する怨念と、それを持続させてきた負のエネルギーには、舌を巻いたね、おののきつつ。

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その人は親友には初めから返済の意思がなかったんだ、と悟ったとき、心臓を不意にグサッと刺されたような思いになり、絶対許せない、ってそれからの5、6年もの間、それこそ何千回叫んだかわからない、と言っていた。

何しろ、人生設計をメチャクチャにされたんだからな。ただ、その人には妻子がいたので、一から出直す覚悟があった。

20年も経つうちに堅実な生活を営める程度には立ち直ることができた。ところが、だ。子どもも独立し、そろそろ妻と2人で悠々自適の生活に入ろうかというときになって、その元親友が現れたのよ。粗末ななりだったが、ちゃんと働いている様子だった。

そして土下座したんだ。借りたカネは返せないけれど、何とでもしてくれ、と詫びを入れにきたんだな。

「今さらと思いましたよ。許すしかないでしょ。ただ、こいつを親友時代のときと同じに遇してはいけないと思いました。1段下のステージに下げるというのではなくて、私が1段上のステージに上がればいいんだ、と」

いい許し方だと思ったぜ。負の恨みを正に転換して自分を高めたんだからな。

志茂田景樹 作家

1940年、静岡県生まれ。中央大学法学部卒業後、さまざまな職を経て作家を志す。1976年、『やっとこ探偵』で小説現代新人賞を受賞。40歳のとき『黄色い牙』で第83回直木賞を受賞。ミステリー、歴史、エッセイなど多彩な作品を発表していく。活字離れに危機感を持ち、「よい子に読み聞かせ隊」を結成、自ら隊長となり幼稚園や保育園をはじめ、さまざまな箇所を訪問。絵本『キリンがくる日』(木島誠悟・絵、ポプラ社)で第19回日本絵本賞読者賞【山田養蜂場賞】受賞。2010年4月から「@kagekineko」のアカウントでtwitterを開始。読む者の心に響く名言や、質問者に的確なアドバイスを送る人生相談が話題を呼び、フォロワー数は41万人を突破している。

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