また、いうまでもなく現代のおしゃれ好きの多くは服をたくさん持ちすぎているので、それをなんだかんだとクローゼットの奥で眠らせていることには内心忸怩たる思いを抱いているのであり、その自慢の可愛いお洋服たちがどこかハレの場へ出て行くことは心からうれしいことのようなのだ。
それにもちろん友達なので、普段から私の良いところも悪いところも、クセのある好みなどもちゃんと理解してくださっている。なので、私が好きそうな服、似合いそうな風、しかしそうではあっても他人なので、案外私じゃ選ばないような、なるほどそうきましたかと思うような「ギリギリセーフ」あるいは「ギリギリアウト」な球を投げてくる。それがまた面白い。
で、それを頑張って着る私。まさしくこれぞハレの日。いつもより背筋が伸びるし、自分の世界が少し広がるようで、実に楽しいのであります。
ってことで、もういいことしかない! なんで今までこれを思いつかなかったのか……と思う今日この頃であります。
お気に入りの服も生涯着続けることはできない
で、「よそ行き問題」はこのように完璧に解決したんだが、それとはまったく別に、限られた服だけで暮らすゆえの重大な問題がもう一つ発生することに気づいたのである。
それは、「服というものは永遠に着続けることができるわけじゃない」ということだ。
服をやたらと持っていた頃にはまったく気づかなかったんだが、持っている服が少ないということはそれだけ同じ服の登場回数が増えるということで、毎日のように着まくっていれば、数年もたてばどうしても生地が破れたり、シミや黄ばみなどの汚れが目についたりしてくるのであった。
もちろん可能な限り布を当てて補修などして、これはこれで一つの新しい趣味になったりもしているんだが、それも限界がある。いくらお気に入りでも、同じ服を生涯着続けるってことは物理的にできないのである。
じゃ、新しいのを買えばいいじゃないかって?
私もそう思っていた。だがそんな簡単な話じゃなかったのだ。
前にも書いたように、今私が持っている服は、何十年もかけて集めた服の中から選びに選び抜かれて生き残った精鋭中の精鋭。その超エリートたちに取って代わる服など、いくらオシャレな店を物色したり、インスタその他でせっせと情報を集めたくらいで手に入るはずもないのである。
いやね、実際買いに出かけたりもしたんです。でもどうも違う気がして購入に至らず。悩んだ揚げ句、あえて何の変哲も無い無印良品やユニクロのクルーネックセーターなど買ったりもしたんだが、似合うようでどうも似合わず、結局すぐに着なくなり処分してしまった。万人に合うスタンダードと、私に合うスタンダードは違ったのである。
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