学習障害だった彼女が26歳以降に得た人間の底力 「脳は生涯変化する」身をもって証明してみせた
当時の状態を彼女は「厚い霧のなかにいるようだった」と述べており、思春期のころには自殺を考えるようにもなっていた。苦痛と疲弊、終わりのない困惑や葛藤に耐えきれなかったからだ。しかし実行してみても結局は未遂に終わり、自殺すらできない自分を責めた。
だが当時の高校の試験は暗記中心だったため、記憶力に恵まれたバーバラは、大学に進学するには充分な成績を収めることができた。学習困難に悩まされてきたにもかかわらず、大学進学のチャンスをつかんだのだった。
子どもたちから学んだこと
しかし当然ながら大学入学後も、“理解すべきことを理解できない”現実に悩まされた。後戻りはできないし、前に進むことも難しい。大学にも居場所はない。そんななか、また失敗したのではないかという不安にかられながらも栄養学を1年間学んだのち、彼女は専攻を児童科に変更した。
子どもが好きだったのも事実だが、本当の理由は別のところにあった。児童学の授業は暗記でなんとかなりそうなものが多く、栄養学よりも簡単に思えたのだ。しかしこの決断が、結果的には大きな意味を持つことになる。
以後、「未就学児研究室」と呼ばれる研究施設で、就学前の子どもたちを注意深く見守ることがバーバラの当面の仕事になった。彼女はこの仕事に夢中になり、マジック・ミラー越しに子どもたちの行動を観察してまとめた。そしてそのレポートによって、初めて先生に評価された。
自身に学習困難の体験があったため、子どもたちの行動の意味を理解する才能が身についていたのだ。したがってこの経験は、彼女を前向きにさせた。子どもたちの学習プロセスについてさらに知りたいと思い、大学院への進学を決意するのである。
進学先のトロント大学のオンタリオ州教育研究所(OISE)では、学校心理学(school psychology)を専攻する。これは行動障害や学習困難の診断や治療に、臨床心理学や教育心理学の原理を応用するというものだという。
この時期にバーバラは、脳には可塑性や順応性があることを知る。脳は鋼鉄の塊のようなものではなく、植物や木の根のように育っていくものなのだと。
バーバラには自分のやるべきことがわかった。脳を働かせ、脳を鍛えて、弱い部分を強化する方法を見つければいいのだ。(61ページより)
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