近鉄「名物広報マン」が転身、畑違いの第2の人生 「鉄道少年」から電車の運転士に、その先は?

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上本町駅着任から2年後、新田辺列車区に助役として赴任し、乗務員の指導を担当した。「お召し列車」の前を走る列車に同乗して運転士を監督したこともある。この列車はお召し列車の3分ほど先を走って周囲を確認しながら後続列車の安全を守るという重要な役割を果たす。お召し列車以上にプレッシャーは大きい。何度も試運転を重ねたが、それでも不安は尽きない。運転士には「俺がついているから安心しろ」と励ましたものの、自分の足も震えていたことを福原は覚えている。

大役を無事果たし、1994年に本社広報部に配属された。福原が命じられたのは各紙の社会部記者との対応だ。事件報道を専門とする猛者ぞろいだけに事故やトラブルが起きると、舌鋒鋭く切り込んでくる。

鉄道以外の事案も担当した。2004年の球団売却をめぐる問題では、朝に出社すると玄関の前に記者が10~20人も立っていて、早速福原を囲んで取材が始まる。昼に食事のために外に出ると、記者がぞろぞろと付いてきて、食事中の福原の横に座って話を聞き出そうとする記者もいた。「帰りの電車にまで付いてきた記者もいましたね」と、当時を懐かしむ。

ジョン・ウーとの出会い

こんな経験を積み重ね、気が付けば20年以上も広報をやっていた。社内でも異例だが、関西の私鉄各社を見渡しても、これだけ長く広報を担当しているのは福原だけだった。「わからないことは福原に相談しろ」。鉄道各社から頼られる存在になるのは自然の成り行き。いつしか、各社の広報マンから「ボス」と呼ばれるようになっていた。

ふくはら・としひろ/1975年近畿日本鉄道入社。駅事務、運転士、助役を担当後、1994年から近鉄広報部所属。鉄道知識に精通しており、NHK「ブラタモリ」などメディア出演多数。現在は平城宮跡歴史公園内の事務所でなら歴史芸術文化村の開設に向け準備中(記者撮影)

福原が広報時代に立ち上げた事業の一つにロケーションサービスがある。テレビや映画のロケをサポートするビジネスだ。それまでの近鉄は、駅や車両を撮影に使いたいという問い合わせがあっても「対応できない」と消極的だった。しかし、福原が先行事例を調べてみると手数料が得られることに加え、宣伝効果が大きい。「ぜひやるべきだ」。上層部を説得し、2011年にロケーションサービスを立ち上げた。さまざまなテレビドラマや映画の制作を支援し、福原自らアイデアを出すこともあった。中でも強烈な思い出は、「ミッション・インポッシブル」の続編「M:I:2」や「レッドクリフ」で知られる映画監督ジョン・ウーとの出会いだ。

大阪を舞台とした2017年公開のアクション大作「マンハント」では、福原とウーがロケ地の候補地を一緒に探し歩いた。中之島大川での激しいボートアクションは、道路を封鎖して行うカーアクションの撮影が困難なため、「道路が無理なら水上で」と、福原が捻り出したアイデアだ。

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