今は昔、「貴賓室」もあった西那須野駅の黄金時代 一時期は私鉄が複数乗り入れ、皇族も利用した
2021年12月12日、JR東日本大宮支社は東北本線黒磯駅の開業135周年を祝したイベントを開催した。栃木県那須塩原市に所在する黒磯駅は、湘南新宿ラインなどの行先にもなっている。首都圏在住者なら、利用したことがなくても「黒磯」の駅名を目にしたことがあるだろう。鉄道ファンなら直流と交流が切り替わるデッドセクション駅として、一般的には皇族が静養で那須御用邸へと足を運ぶ際に利用する駅としても知られる。
黒磯駅は東北新幹線の開業によってその役目を那須塩原駅に譲ったが、現在も駅には貴賓室が残っている。同駅の貴賓室は、2005年に清子内親王が結婚前の旅行で父親の明仁天皇(現・上皇)とともに立ち寄ったのが最後の利用になった。それでもいまだ現役で、室内には調度品が残されている。開業135年という節目を迎えるにあたり、撮影禁止という制限付きながらも貴賓室が一般公開された。
貴賓室のある駅が3連続
那須塩原駅と黒磯駅は東北本線の隣同士の駅だ。つまり、貴賓室のある駅が連続していることになるが、実は那須塩原駅の1つ東京寄り、西那須野駅にもかつて貴賓室があった。
西那須野駅は、東北本線などの前身となる路線を敷設した私鉄、日本鉄道が1886年に開設。同鉄道は1884年に上野駅―高崎駅間を開業し、翌1885年に大宮から分岐して宇都宮駅までの区間を開業した。その後も当初の目的だった東北を目指して線路を北へ延ばし、翌年に「那須駅」として現在の西那須野駅が開業した。1891年には、駅名を西那須野に改めていいる。
日本鉄道の首脳陣は、江戸時代から五街道として人の往来が頻繁だった奥州街道に沿って線路を建設する計画を描いていた。街道は現在の西那須野駅がある位置よりも東側にある。つまり、計画通りに駅が建設されていれば、現在の大田原市の中心部に東北本線が走ったことになる。
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