「庶民的イメージ」の蒲田は昔"田園都市"だった 渋沢栄一も意識した?近代的「理想郷」の整備

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蒲田駅東口。1998年に大森から移転した大田区役所の敷地は、もともと国鉄が保有する敷地だった(筆者撮影)
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JRの蒲田駅周辺は、大田区屈指の繁華街としてにぎわう。発展の原動力となった駅は1904年に開業。現在は京浜東北線の電車が発着するが、当時はまだ運行開始前だったため、東海道本線の列車が停車していた。

蒲田駅が開設される3年前には、すでに京浜電鉄(現・京浜急行電鉄)が蒲田(現・京急蒲田)駅を開設していた。同駅は1901年に開業しているので、2021年は120周年にあたる。

京浜電鉄は川崎大師へ参詣するための路面電車として1898年に発足。当初は大師電気鉄道という社名だった。その後、路線網の拡大を模索して京浜電鉄と改称。京浜電鉄は川崎を軸に東京方面、横浜方面へと線路を延ばしていく。現在の東京都内の鉄道は電車ばかりが走っているが、当時は「汽車」が当たり前。東海道本線もそうだった。新時代の到来を思わせる電車が川崎から延びてくることに、東京の鉄道関係者たちは警戒した。

大森に負けていた蒲田

川崎から線路を北進させる過程で、京浜電鉄は蒲田駅を開業した。同駅が蒲田という街を発展させる礎になったことは間違いない。しかし、当時は蒲田よりも都心に近い大森がにぎわい、京浜電鉄も大森をターミナルにしていた。

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蒲田は、1904年に官営鉄道(現・JR)が駅を開設したころから少しずつ駅周辺がにぎわうようになっていく。とはいえ、開設されたばかりの駅周辺は、お世辞にも繁華街といえるものではなかった。

近隣には蒲田より都心寄りに位置する大森駅が先に開業していた。1876年、東海道本線に同駅が開業すると、一帯は政治家や高級官僚などが住まいを構える高級住宅街へと変貌する。約30年も早く開業した大森駅に、蒲田駅はにぎわいの面で敵う相手ではなかった。

高級住宅街として発展する大森駅がありながら、すぐ近くに蒲田駅が開設されたのはなぜなのか? 現在こそ蒲田駅の周辺は大田区屈指の繁華街としてにぎわっているが、当初は農村地帯。その農村地帯に着目した企業がある。それが、植物専門商社の横浜植木だった。

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