日本は後発工業国であり、70年代までは、先発工業国に安価な製造業の製品を輸出し、それら諸国の製造業に脅威を与えていた。特にアメリカとの間では、70年代から80年代にかけて数々の貿易摩擦が発生した。
冷戦終結後、旧社会主義圏に存在していた膨大な労働力が自由主義経済圏に入ってきた。労働力が一挙に倍増するような変化が生じたのだ。しかも、中国のようにそれまで農業国にとどまっていた国が工業化した。これによって、製造業をめぐる環境は一変したのだ。
工業製品価格が下落し サービス価格が上昇した
90年代後半頃から顕著に生じた現象として、物価の下落がある。これが、通常「デフレ」と言われる現象である。
戦後の日本において、物価が長期にわたって継続的に下落することはなかった。そして物価下落が生じたのは、日本経済が不調に陥った時期と一致していたので、両者の間に関連があると考えられた。物価下落は日本経済が新たな病に冒された兆候であるとされたのである。
「デフレが経済不調の原因」という考えは、次のようなものだ。経済全体の需要が伸び悩んで(あるいは縮小して)、物価が低下する。その結果、企業の利益が減少し、賃金も下落する。それが需要をさらに減らす。
しかし、日本で実際に起きたことは、経済学の教科書にある「デフレ」とはまったく違う現象だった。教科書的な意味のデフレは、すべての物価が一様に下落する現象である。しかし、実際に生じたのは、工業製品の価格の下落であった。とりわけ、家庭電化製品などの耐久消費財の価格が顕著に下落したのである。その一方で、サービスの価格はむしろ上昇した。