「大東亜帝国、MARCH…」誰がいつ名づけたのか? 実はたくさんある「大学グループ」誕生秘話
大学生の就職活動にとってSNSは欠かせないツールとなった。ネット、メールを駆使しての情報収集が、希望する会社から内定を得られるカギとなるといっていい。
就職情報会社・マイナビも学生にとって貴重な情報源となる。
ところが今年12月、マイナビが就職活動中の学生約1万6千人に、「大東亜以下(9)」というタイトルが記されたメールを送信し、大騒ぎとなった。同社は誤送信であることを認めたが、ネットでは「大学間で格差をつけるようなもの」「学歴フィルター」という批判が出た。
「大東亜」は大東文化大、東海大、亜細亜大を指している。
そもそも、「大東亜」というくくりは、いつ、誰によって名づけられたのだろうか。
1970年代から1980年代にかけて登場
大学をその名称の一部をとって並べて、グループ分けして呼ばれるようになったのは、1960年代後半の「早慶上智」であろう。この頃、予備校が設置した「早慶上智コース」、受験関連の特集記事「早慶上智対策」などが見られた。
1970年代から80年代にかけて、「MARCH」(明治大、青山学院大、立教大、中央大、法政大)、「日東駒専」(日本大、東洋大、駒澤大、専修大)、「関関同立」(関西大、関西学院大、同志社大、立命館大)などのことばが受験業界に登場する。
「MARCH」は文部科学省の審議会議事録にも出てくる。
また、2011年、東京都教育委員会による「進学指導重点校等における進学対策の取組について」という報告書にも記載されていた。都立高校に「進学指導改善計画」を提出させ、難関大学への現役合格者の目標数値が掲げられている。
以下、2013年度の合格者目標だ。
*都立竹早高校 国公立25人、早慶上理60人、MARCH140人
(上理は上智大、東京理科大)