小田急沿線の「古くて新しい廃線跡」途中下車の旅 東北沢の線路街、向ヶ丘遊園のばら苑など巡る

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向ヶ丘遊園駅の南口にはロータリーが広がり、その先には駐輪場がある。実は、この駐輪場こそが、2001(平成13)年をもって廃止となった小田急向ヶ丘遊園モノレール線の駅跡地だ。ここから1.1キロメートル先の向ヶ丘遊園正門までモノレールが道路上を走っていたのだ。

廃止後20年になるので、軌道は影も形もない。少し歩いていくと、二ヶ領用水に沿った五ヶ村堀緑地という遊歩道があり、春と秋にはバラが咲き乱れる。2002(平成14)年に閉園となった向ヶ丘遊園の一部がばら苑となっているけれど、そこへのアクセスロードにもなっている。

ばら苑アクセスロード

その案内板には、この上をモノレールが走っていたと記されていた。のんびり歩いていくと、「藤子・F・不二雄ミュージアム」にたどり着く。そのあたりにモノレールの終点駅があったと思われる。

バラに癒やされていると、うっかり見過ごしてしまうけれど、遊歩道の脇には、「小田急電鉄モノレール線橋脚37」をはじめ「小田急電鉄モノレール線橋脚39」「53」「57」という、数字が異なる小さな銘板が何枚も道路に埋め込まれているのを発見した。廃線跡を示す唯一の遺構かもしれない。

新百合ヶ丘駅付近の旧線廃線跡

およそ半世紀前にできた「新百合ヶ丘駅」

向ヶ丘遊園駅に戻り、再び小田急線に乗って新百合ヶ丘駅へ。この駅は1974(昭和49)年に開業した比較的新しい駅で、多摩ニュータウンへ向かう多摩線との分岐駅として新設された。そのとき、この付近のカーブが連続する線形を直すためにショートカットする新線を建設し、その中間に新百合ヶ丘駅を造ったのだ。その後、急激に開発が進んだので、旧線の廃線跡はほとんど痕跡を残していない。

わずかに、多摩線の高架下から本線に合流するあたりの区間が廃線跡と認識できるにすぎない。新百合ヶ丘駅から町田方面へ向かうと、多摩線の高架橋の下あたりから保線用車両の留置線が本線に合流するように延びている。この保線基地が旧線の一部を再利用したものだ。

旧線跡だと確認するには、多摩線に乗って俯瞰するとよくわかる。とくに多摩センター方面から新百合ヶ丘に到着する前、北側にはソーラーパネルが帯状に延びた廃線跡に設置されているのに気づく。

その昔、このあたりを電車で通ったとき、百合ヶ丘と柿生駅の間は、ずいぶん長かったような記憶がある。半世紀近く前の話だが、何もなかった田園地帯が、あっという間に開発されてにぎやかな街となったとは……、変われば変わるものだ。

新百合ヶ丘駅付近の旧線跡は、やや難度が高くマニアックであるが、「下北線路街」と向ヶ丘遊園駅近くの「ばら苑アクセスロード」は、誰もが気持ちよく散策ができる廃線跡だ。この2つはシニアでも楽しめるので広くおススメしたい。

野田 隆 日本旅行作家協会理事

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のだ たかし / Takashi Noda

1952年名古屋市生まれ。早稲田大学大学院修了(国際法)。都立高校に勤務のかたわら、ヨーロッパや日本の鉄道旅行を中心とした著作を発表、2010年に退職後は、フリーとして活動。日本旅行作家協会理事。おもな著書に『にっぽん鉄道100景』『テツはこんな旅をしている』『シニア鉄道旅のすすめ』(以上、平凡社新書)、『テツ道のすゝめ』(中日新聞社)、『ニッポンの「ざんねん」な鉄道』(光文社知恵の森文庫)、『テツに学ぶ楽しい鉄道旅入門』(ポプラ新書)などがある。

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