絶好調ワークマンが「職人用品を店の右に置く」訳 大半の店舗が年商1億円超えるレイアウトの秘密

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さかのぼっていえば、ワークマンの最初の店舗は1980年9月30日に群馬県伊勢崎市に「職人の店・ワークマン」としてオープンしていた。群馬県は、ワークマンが属するベイシアグループ(ワークマン、ベイシア、カインズを中核として年商1兆円を超える流通大手)の本拠地である。

この1号店は16坪しかない狭い店舗だった。半年後にオープンした2号店(現在の群馬県みどり市)も狭かったが、1982年に埼玉県深谷市にオープンした3号店は40坪にまで広げた。この3号店からフランチャイズ運営にして店舗のマニュアル化、標準化を進めていった歴史がある。「地域密着」を大原則としていたのも当時からのことだ。

会社のトップが加盟店を大事に考え、社員が店長たちと仲間のように接していたスタンスもこの頃から変わらない。こうした歩みがあったうえで、ついにフランチャイズとしての標準が定まってきたわけである。

売り上げが苦戦する店舗から転換

既存店をワークマンプラスに変えていく順序としては、売り上げ面で苦戦している店舗から優先的に選んでいった。この点については通常のフランチャイズでは考えにくい選択なのではないかと思う。

一斉に業態を変えるわけではなく、順次、リニューアルオープンを進めていくのであれば、「どの店をリニューアルすれば、より売り上げを伸ばせるか」という投資効率を考えるのが普通である。

その点でいえば、全国の店舗のなかでも売り上げが平均以上の店を選んだほうがいいのは明らかだった。地域でいえば、地盤ができている関東から始めていくのがいい。しかしワークマンではあえて、売り上げが厳しい地方の店舗から業態転換を進めていったのだ。

戦略的なことではなく、ある種の平等主義によるものだったといっていい。店長が一生懸命やっていても売り上げが伸び悩んでいるような店舗を改善したかったという心情的な意味合いが強かったのである。

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