もてぎが「モビリティリゾート」に改名するワケ ホンダ直系施設のビジネスモデルに大きな変化
株式会社モビリティランドは2021年10月22日、栃木県茂木町で運営する「ツインリンクもてぎ」の事業所名を2022年3月1日付で「モビリティリゾートもてぎ」に変更すると発表した。
なぜ今、事業所名を変える必要があるのだろうか。そこには、ホンダのみならず、自動車産業全体が抱える社会変化に対するさまざまな課題が見え隠れする。
その実態を探るため、久しぶりにツインリンクもてぎを訪れた。
すると、筆者にとってのツインリンクもてぎにかかわる多くの記憶が呼び起こされた。
1997年の開業から2011年まで開催された、アメリカのモータースポーツ「インディカー・シリーズ」では、日本テレビで中継された番組の出演者としてツインリンクもてぎのスタッフの方々に大変お世話になった。
中には、2011年の生放送のあとに筆者の体調が急変し、コース内のメディカルセンターに担ぎ込まれて応急処置を受けるというハプニングもあった。そのほか、スバル「BRZ」などの報道陣向け量産車試乗会や、各種イベントでもこの地を訪れてきた。
象徴「オーバルコース」はもともとなかった
さらに時計の針を戻せば、ツインリンクもてぎの開業に向けた構想立案の時期から、筆者は当時の関係者と意見交換をしている。
1990年代中盤、筆者はアメリカのストックカーレース「NASCAR」との関わりから、ノースカロライナ州シャーロットに居住していたが、そのときツインリンクもてぎの準備チームがシャーロットへやってきた。
理由は、NASCAR関連施設の中で、趣向を凝らしたさまざまなオーバルコースイベントを開催していた「シャーロットモータースピードウェイ」を視察するためだ。
実は、茂木町でレース場を建設する計画の初期段階にオーバルコースはなく、現在のロードコースのみが描かれていた。ホンダの上層部は長年、三重県の「鈴鹿サーキット」に加えて、首都圏に近いエリアで国際的なレース開催が可能なレーシングコースを建設したいという希望があったからだ。
だが、事業構想を最終案としてまとめる中で、鈴鹿サーキットとの違いを明確に示す方策として、当時は日本であまり浸透していなかったアメリカンモータースポーツを全面に打ち出す事業方針に変わった。
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