老女が握るのは誰かの手ではなく、文明が生んだビニール袋。向かう先は楽園ではなく、障子の破れた家。この情景は水俣特有のものなのか。そうではないと私は思います。
水俣病の歴史には、日本の近代が詰まっていました。創業から数十年で日本有数の新興財閥へと成長した日窒コンツェルン(後のチッソ)は、朝鮮半島に乗り込み、東洋一の化学工場と呼ばれた興南工場を興します。
大日本帝国の消滅と共に会社資産の大半を失いますが、朝鮮から水俣工場に引き揚げてきた社員らが、戦後は、化学業界の雄となって日本の高度経済成長を支えるのです。そこで起きたのが水俣病でした。
真の「勝者」は誰なのか
では、犠牲となった人々は補償金を得たことで救われたのか。裁判に勝ったことで真の「勝利者」になれたのか。
ユージンが撮った老女の後ろ姿は、それを問うているように思えてなりません。経済成長の道をひた走った末の荒廃は、水俣に象徴的にあらわれたけれど、水俣に限った話ではない。
ユージンの作品には一種の文明論がありました。彼は水俣を撮りながら、人類の未来を見つめていた。文明を握りしめて、私たちはどこへ向かおうとしているのかと、彼特有の手法で、世界に警告を発していたと思うのです。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら