19歳の娘が父へ放った一言、取り返せない時間 小説「さよならも言えないうちに」第4話全公開(1)
「六年前か……」
そうつぶやいたのはこの喫茶店のマスター、時田流(ときたながれ)である。
「ひどい娘(むすめ)だね」
カウンター席に座る高竹奈々(こうたけなな)が忌憚(きたん)のない横槍(よこやり)を入れる。高竹は近所の総合病院で働く看護師で常連客の一人だ。
「高竹さん」
「なに?」
無言で(失礼ですよ)と諫(いさ)める流に対して、悪びれることもなく、ズズズと音を立ててコーヒーをすすりあげる高竹。
路子は、高竹の言葉を気にしてか、申し訳なさそうに、
「ここに来れば、過去に戻れると聞いたんですが……」
と、尋ねた。本題である。
「えっと……」
流は言葉に詰まり、高竹と顔を見合わせる。
二人の反応は路子を不安にさせた。
(もしかして、嘘(うそ)?)
路子自身も、正直に言えば本気で信じていたわけではない。
(でも、それでも戻れるなら? 戻れるのだとしたら……)
という思いでここに来た。
どうしても戻りたい、戻らなければならない理由があった。
「戻れるんですよね?」
思わず声が大きくなる。
困惑しながら、こめかみをかくだけの流。
「どうなんですか?」
さらに語気を強める路子。だが、流はそれ以上何も答えない。
路子は、険しい表情で流を覗(のぞ)き込む。
「父を助けたいんです」
「戻ってどうすんの?」
高竹が割って入る。しかし、その問いは機械的だ。路子が何を答えるのかをわかっている感がある。
「父を助けたいんです」
「助ける?」
「はい、六年前、この喫茶店で父を追い返してから三日後のことでした。父は震災で……」
言葉につまる。
六年経(た)った今でも、消えることのない後悔。
「あの日、私が父を追い返したりしなければ……」
二〇一一年三月十一日、観測史上最大の地震。東日本大震災。
その被害の大きさは、六年経った今でも、ここにいる誰の記憶にも残っていた。流も言葉を失い、高竹は何も言わず、顔を伏せた。
時田数(かず)だけが、そんな路子をじっと見据えている。数はこの喫茶店のウエイトレスで、過去に戻るためのコーヒーを淹(い)れる役目を担っている。色白で切れ長の目をした端整な顔立ちではあるが、これといった特徴がない。一言でいえば影が薄い。路子も数と視線が合うまでは、その存在にも気づいていなかったほどである。
「お願いします! 私をあの日に、父にひどいことを言って追い返してしまったあの日に戻してください!」
路子は改めて数に、そう言って深々と頭を下げた。
(父を助けたい)
その気持ちは流にも、高竹にも痛いほどわかる。だが、わかるがゆえに、二人は路子にかける言葉を見つけられずにいた。
なぜなら、路子が過去に戻るための重大なルールを知らずにいたからだ。
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