「売れない52歳芸人」が仕事ほぼゼロでも食える訳 「コラアゲンはいごうまん」という生き方

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コラアゲンはいごうまんさん(写真:梅谷秀司)

では、日々の過ごし方はどうなったのか。聞くと、「ライブができない分、毎日ネタづくりをしています。お金になってないだけで、めちゃくちゃ忙しい」という返事だった。なるほど、取材日程の調整のとき、空きが多かったのは、時間的拘束のある予定が少なかったということなのだ。ソーシャルディスタンスを余儀なくされ、従来のような密着取材は難しいが、この状況を逆手に取ってつくったネタもあるという。その1つが、「イギリスのSMの女王様」である。

その女王様は、直接会えない代わりに、ゲーム「あつまれ どうぶつの森」でファンたちと交流し、ユニークな取り組みだと経済紙にも取り上げられたほど。そこでコラアゲンさんは、「コロナを乗り越えるための教えを請いたい!」と、ゲームを始めて女王様と接触。ときにののしられ、ベル(ゲーム内での通貨)を巻き上げられつつ、ありがたい助言をいただくという、心温まるエピソードに昇華させた。取材もライブもすべてオンラインで完結させた、これまでのコラアゲンさんにないネタだった。

「平時ならああいったネタは絶対つくらなかったですが、いつもの方法論が封じられて、アホなりに考えたんでしょうね。家から一歩も出ないで体験型のネタをつくるという、これまでなかった発想が生まれて、やってみたら『イケるやん』と。まかないが以外においしくて、メニューになったみたいなものですわ」

コロナ禍でお笑い活動をするにあたり、奥様の理解も大きかった。収入がない状況でも、「ネタなんかつくってないでバイトしなさい」などと言わず、見守ってくれたのだ。「皆さんのおかげで、この状況でもお笑いのことだけを考えて生活できているんです。芸人としてこれがどんなに幸せなことか」とコラアゲンさんは目を細める。

フリーになる決意をした恩師からの言葉

さまざまな人の支えを受けて、大きな決断もした。2020年12月、所属していたワハハ本舗を退所し、フリーになったのだ。この時期に、あまりにもリスキーに思えるが、不退転の決意がそこにはあった。

「ワハハ本舗の名前やブランドは、全国どこでも通用します。でも、それに甘えることで気が緩んで、芸が停滞してしまうのであれば、あえて厳しい環境に身を置いたほうがええなと。僕も50歳を超えたし、面白いと言ってくれはる方はいるけど、世に出ないまま終わってしまう前に、背水の陣で勝負したい。それならば、コロナ禍にあえて飛び出そう、とフリーになったんです」

実は事務所の社長であり、恩師である喰始(たべはじめ)さんからかけられた言葉が、コラアゲンさんの背中を強く押していた。緊急事態宣言でツアーが中止になったとき、「コロナのせいで仕事がなくなりました」とぼやいたところ、喰さんから「コロナがなくても同じことになってたよ」と返ってきたという。実はツアーのライブ本数は、かつて年100本以上あったのが、徐々に減少して約50本になっていたのだ。

「仕事が減っていたのには原因がある、君の努力不足をコロナのせいにしたらダメだよ、と言われたんです。耳が痛いけど、ほんまにそのとおりでした。ライブの本数が減っていても、ギリギリ生活できていたので、こんなもんやろうと思って何もせえへんかった。けれどその時点で危機感を持って、新しいことに挑戦しないといけなかったんです」

コラアゲンさんのネタは、「ヤクザ」「新興宗教」など、過激な人・場所に密着するものが多かった。喰さんに言わせると、そういった題材を選べば、何かしら面白い話はできるだろうけど、やがてネタも枯渇するし、飽きられてしまう。平凡な題材でも面白くできるよう、勉強したり映画を観たり、世の中のトレンドを知ったりして、自分を研鑽しないといけない。

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