鉄道車両で躍進「シュタッドラー」名物CEOの素顔 社員18人の企業を買収し、業界大手に育てる
2019年4月、スイスを拠点とする鉄道車両メーカー、シュタッドラー・レールがスイス証券取引所に上場した。
独自路線を歩みながらもシュタッドラーの21世紀に入ってからの躍進は目覚ましく、路面電車から最高時速250km仕様の準高速車両、ラック式車両、機関車まで、さまざまな車両を製造している。売上高もコロナ禍前の2019年には32億スイスフラン(約4000億円)を記録し、車両部門だけの売り上げで見るとロシアを除く当時の欧州ビック3(アルストム、ボンバルディア、シーメンス)に次ぐ規模にまで成長している
アルストムによるボンバルディア買収に見られる弱肉強食の様相を呈しているヨーロッパの鉄道車両メーカーの中にあって、スイスの弱小メーカーだったシュタッドラーがなぜここまで躍進できたのだろうか。それには、1989年に年商450万スイスフラン(約5.6億円)、従業員わずか18人だった企業を買収し、全世界で1万2000人とも言われる企業に育て上げたカリスマ経営者のペーター・シュプーラー氏を抜きにしては語れない。
シュプーラー氏については日本ではほとんど知られていないが、スイスで最も成功した経営者の一人とされている。日本で例えて言うならば、ユニクロの柳井社長の様な存在である。
最初は家族経営の町工場
シュタッドラーの起源は第二次世界大戦下中の1942年に、エルンスト・シュタッドラー氏がチューリッヒでバッテリー駆動改造車の事業を始めたことに遡る。1945年には小型機関車の製造に乗り出したものの、1951年に破産してしまった。その後の空白期間を経て、シュタッドラーは1962年にスイス東部のブスナングに移転して工場を再建し、以来この地がシュタッドラーの本拠地となっている。
しかし、1981年に創業者のエルンスト・シュタッドラー氏が死去、未亡人となったイルマ・シュタドラー夫人が家業を継承し、1984年には初めて旅客用車両を製造している。この頃は家族経営の町工場であったようだ。
同社の一大転機となったのは、創業者家族の孫娘の夫のペーター・シュプーラー氏が、1989年に29歳の若さで事業を継承した時である。ここから同社の大躍進が始まるが、シュプーラー氏はどのような経歴の持ち主だったのだろうか。
シュプーラー氏は、その名前からドイツ系のように見えるが、1959年にスペイン・セビリアで料理人の父親の家庭に生まれた。6才の時にスイスに移住し、1980年から1986年まではヨーロッパでもトップレベルのザンクトガレン大学で経営学を専攻し、この間プロアイスホッケー選手としても活躍していた。
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