ほどよく裸になって著者自らをさらけ出す--『ドストエフスキーとの59の旅』を書いた亀山郁夫氏(東京外国語大学学長)に聞く
--ご自身の自伝的な体験についても鮮烈な描写があります。
この本のクライマックスはおそらく二つ。一つは私が30代半ばのとき、ロシアのウリヤノフスクで逮捕された経験。そこから得た全体主義、専制政治の恐怖。ドストエフスキーと共有されているものだろう。
もう一つは、カタストロフィーとでもいうべきこととの関連。広島から9・11、セミパラチンスクの核実験施設、ヴォルゴグラードでの戦闘といったカタストロフィーをなめた場所に実際にいって、そこでドストエフスキーの経験と重ね合わせ、記憶を蘇らせる。それがいま一つのポイントだ。
--本のタイトルどおり、旅での描写が中心ですね。
19世紀後半、ドストエフスキーの生きた時代、場所で旅を試みる。同時に自分自身の過去を旅していく。この二つの軸。加えて、ドストエフスキーが旅したロシア以外の場所を歩く。その三つでテーマごとに構成してみた。
その際に、ロシアとは何かという問題性も明らかにしたかった。旅をするときには大地を当然踏みしめていく。ロシア、ロシア人、あるいはドストエフスキーにとって、大地とはいったい何なのか。このテーマも自分なりに突き詰めてみた。
--数多くのロシアの都市や町、村が出てきます。
私自身、若いころに、ほんとにロシアを歩き回った。大学院生のときは旅行社の添乗員もした。研究旅行のついでに足を延ばすこともしばしばだった。一つの研究をまとめるために、ここも訪ねた、あそこも訪ねたと、種明かしをしているみたいな記述になった。