豪雨被災から10年、復旧すすむ只見線不通区間 3つの鉄橋が流されたが、2022年に運転再開へ

拡大
縮小

本名ダムの前を一気に跨ぐ曲弦トラス桁が架けられた第六只見川橋梁。左下のコンクリートは上半分が撤去された旧橋脚でその上に上路トラス桁が乗っていた(本名ー会津越川間、写真:山井美希)

鉄道ジャーナル社の協力を得て、『鉄道ジャーナル』2021年12月号「復旧工事すすむ只見線不通区間」を再構成した記事を掲載します。

2011年7月の新潟・福島豪雨で鉄橋の流失や土砂崩れ等で大きく被災し、会津川口―只見間が10年にわたり不通となっているJR東日本只見線において、全線開通に向けた復旧工事が続けられている。

とくに被害が大きかった3カ所の鉄橋流失箇所については、今年7月末現在、第五只見川橋梁は橋脚・桁架設を完了して軌道工事中、第六只見川橋梁は橋脚の施工を完了し、桁を架設中、第七只見川橋梁は橋脚、桁架設から軌道工事も完了と発表されている。すべての工事完了は2022年度上半期を見込み、訓練運転等を経て2022年中の運転再開を目指すという。あと1年である。

只見線は会津若松(福島県会津若松市)と小出(新潟県魚沼市)の間135.2kmを結び、福島県内のほとんどの区間は只見川に沿って走る。現在の車両は2020年に置き換えが行われたもので、キハ40系に代わり福島県側の会津若松―会津川口間は3月にキハE120形が、新潟県側の小出―只見間は7月にキハ110系が導入されている。

震災に追い討ちをかけた空前の豪雨

只見線は、会津若松から会津宮下までが戦前、1926年から1941年までに会津線として開通し、戦後、1956年に会津川口まで延伸、会津川口―只見間は1963年に電源開発の専用鉄道を改良して国鉄線に編入した。小出側は1942年に小出―大白川間が只見線の名称で開通していた。東西に分かれていた只見線が全通したのは1971年8月、県境の只見―大白川間の開通による。このとき線名も会津若松―小出間が只見線となった。

「鉄道最前線」の記事はツイッターでも配信中!最新情報から最近の話題に関連した記事まで紹介します。フォローはこちらから

その山深い峡谷をたどる姿から全国屈指の秘境路線と言われる。名だたる豪雪地でもあり、並行する国道252号は冬期、半年近くも県境の六十里越の区間が通行止めになるため、只見線は地域の交通路としても重視されてきた。

しかし東日本大震災が発生した2011年、7月27日から30日にかけて会津地方西部を中心に猛烈な豪雨に見舞われ、一帯には震災に追い討ちをかけるような大きな被害が発生した。只見線については豪雨と河川の増水により、会津若松ー会津坂下間を除くほぼ全線にわたり盛土崩壊や土砂流出入、橋台や橋脚、護岸の洗堀等が発生、とりわけ会津川口―只見間では3カ所の鉄橋が流失した。

次ページ福島県はバス化案を呑まず上下分離で線路維持
関連記事
トピックボードAD
鉄道最前線の人気記事
トレンドライブラリーAD
連載一覧
連載一覧はこちら
人気の動画
【田内学×後藤達也】新興国化する日本、プロの「新NISA」観
【田内学×後藤達也】新興国化する日本、プロの「新NISA」観
【田内学×後藤達也】激論!日本を底上げする「金融教育」とは
【田内学×後藤達也】激論!日本を底上げする「金融教育」とは
TSUTAYAも大量閉店、CCCに起きている地殻変動
TSUTAYAも大量閉店、CCCに起きている地殻変動
【田内学×後藤達也】株高の今「怪しい経済情報」ここに注意
【田内学×後藤達也】株高の今「怪しい経済情報」ここに注意
アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
  • シェア
会員記事アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
トレンドウォッチAD
東洋経済education×ICT