韓国に残され韓国経済に貢献した日本資産の行方 「日本から補償はもう必要ない」韓国研究者の大胆な研究成果

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最後は日本側が経済協力資金5億ドルを提供し、請求権つまり補償問題は「完全かつ最終的に解決された」とされ、国交正常化が実現した。韓国内では「植民地支配の補償としては少なすぎる」と反発が強かったが、国交正常化と経済開発を急ぎたい当時の朴正熙政権は戒厳令などによって反対論を抑え、交渉妥結を決断したという経緯がある。

5億ドルは、正確に言えば相互の請求権による相殺金額では必ずしもない。請求権(補償)を言い出すと交渉がまとまらないため、お互い請求権を放棄するような形で「経済協力資金」として政治的・外交的に処理されたのだ。これで韓国側は補償問題の「完全かつ最終的な解決」に同意したが、その裏には膨大な日本資産が韓国に残されていたという事実があるのだ。その後、韓国政府はすでに2回、政府の責任で個人補償も実施している。したがって慰安婦問題や徴用工問題で個人補償が必要なら韓国政府が対応すれば済む話だが、そこを改めて日本を引き込むという外交問題にしているため、問題がこじれている。

「敵の財産」を生かし経済成長を遂げた韓国

朝鮮半島に残された日本資産は、まず戦勝国のアメリカ軍によって接収された。「帰属財産」というのはアメリカ軍が名付けた英語の「VESTED PROPERTY」の訳である。歴史的にはこれが正式名称になる。

しかし韓国では「敵産」と称してきた。「敵の財産」という意味だ。対日戦勝国ではないにもかかわらず、戦勝国つまり連合国の一員になった気分でそう名付けたのだ。評価の分かれる言葉とも言えるが、そう表現することで日本資産を自分のものにする根拠にしたのである。

だから、日本資産は当初は「アメリカに帰属」し韓国のものではなかった。それが1948年、李承晩政権樹立で韓国政府が発足したのを機に韓国に移管、譲渡された。うち電気や鉄道、通信、金融機関など公的資産の多くは国公有化され、企業や商店など民間の資産の多くは民間に払い下げられた。

本書ではその経緯と実情が詳細に紹介されており、結果的にそうした「帰属財産」が韓国の経済発展の基礎になったというのだ。著者によると「歴史的事実を無視、軽視してきた韓国の既成の歴史認識に対する研究者としての疑問」が研究、執筆の動機だという。

現在の韓国企業の多くは「帰属財産」という名の日本資産を受け継ぐかたちで発展した。しかし表向き、韓国の経済界では日本人がよく皮肉る“日本隠し”が広範囲に行われているため「帰属財産」の痕跡を探ることは難しくなっている。時の経過でその事実を知る人も少ない。

一方で、例えば現在の韓国の財閥規模3位にある「SKグループ」はその痕跡がわかる珍しい企業だ。日本統治時代の日本の繊維会社「鮮京織物」を入手し、その名残である「鮮京(ソンキョン)」の頭文字を今も使っている。戦後は「鮮京合繊」として石油化学に手を広げ、やがて移動通信、半導体など先端系まで含む大企業グループになった。

植民地時代の朝鮮銀行は、現在は韓国の中央銀行・韓国銀行の旧館として貨幣博物館になっている(写真・黒田勝弘)

また、学術書である本書にはこうした具体的な企業名が登場するわけでは必ずしもないが、少し調べるとわかるものもある。ビールや焼酎でお馴染みの大手飲料メーカー「ハイト眞露グループ」は自社の来歴として、日本統治時代の大日本麦酒(サッポロ・アサヒ)系の「朝鮮麦酒」を「帰属財産」として受け継いだと明記している。ライバルの「OBビール」もキリンがルーツである。

次ページ韓国の有名財閥にたどり着く帰属財産の行方
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