――こうした題材をカメラで写すのは、センシティブなところまで伝えなきゃいけないという可能性を秘めています。そんな中で、どうやって相手との信頼関係を構築したのでしょうか。
僕はすべてを撮りたいと思っているので、これを撮りませんとは絶対に言わない。ただ撮影させてもらうときは、映画はまだ製作中なので。あと2年は公開することはありませんということはクリアに伝えている。そしてまず見てもらってから公開するということをきちんと話している。
そして自分がプロだということを伝えている。記者さんたちに関しては、自分たちの調査報道の結果を発表したいタイミングがあると思ったし、そのためにわれわれの映像は先に出してはいけないなと思った。そこで「出す日程を共同で決めましょう」と提案したが、「信頼しているからいい」と言われた。
いろいろな条件が合った部分もある。お互いをプロとしてリスペクトしていることもあるが、ジャーナリストたちにとっては、今回の映画で、プレスがどういう機能を果たしているのか、それを映像で見せられれば、新聞を読まないような若い世代にもそれを知ってもらうきっかけになるかもしれない。
また、大臣にとってもすべてを撮影させることは大きなリスクがあったと思うが、目撃者がいるということはいいことではないかと考えたのかもしれない。
告発者も同様。告発者の不安としては、プレスに話しても、果たして自分たちの話を実際に記事にしてくれるのか、ということがある。そこでフィルムメーカーがジャーナリストのことを撮影していれば、自分たちの言葉が世に出てくれるという安心感につながったと思う。
撮影が気にならない状態まで持っていく
――被写体の立ち振る舞いがとても自然で、ジャーナリストが会議をしているシーンでも、そこにカメラがないのではと思ったくらいです。撮影現場での監督はどのように撮影していたのでしょうか。
それが自分のルールなんです。取材する皆さんに、自分の存在が居心地のよいものにし、やがて自分が撮られているのかさえも気にならない状態まで持っていく。観客にフィルムメーカーの存在を感じさせずに、画面に映し出されている人たちに共感してもらえたりするというのは、まさに僕がやりたいことだった。
それをどうやっているのかというと、それは本能的な部分もあるので説明するのは難しいが、その人たちとの関係性の構築。あとはその撮り方も大事。僕は自分自身で撮影もしているので、撮るときはそこで起きていることをいかにリアルタイムに撮るかを重視している。遅れて追いかけて撮っているなという感じになると、映画監督が間に入って撮っているんだなというふうに一気に感じられてしまう。
一緒にいて体験することを心がけているし、それが映画をつくる喜びでもある。そして撮影しているときに、映像の力強さを感じると、それを編集に持ち込むし、それを観客にも伝えたいと思っている。
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