「ワクチン開発立役者」カリコ氏が逆境に勝てた訳 「研究は私の趣味」お金をそれ以外に使わなかった

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しかし、ランガー氏の受け止め方は違う。

「カリコ先生が私を救ってくれたんです」

「多くの科学者が陥る考え方から、自分を救ってくれたのがカリコ先生でした。彼女と一緒に働いていて、本当の科学的理解というのは、何かを教えてくれる実験をデザインすることで、たとえその結果が聞きたくないものであったとしても、必要なものであることを教えてくれたんです」

「大事なデータは、対照群から得られることが多い。それは比較のために使用するダミーを含む実験です。科学者がデータを見るときの傾向として、自分の考えを立証してくれるデータばかりを探してしまう傾向がある。しかし、最高の科学者は自分の理論が間違っていることを立証しようとするんです。ケイト(カリコ氏)の天才的なところは、失敗を受け入れることを厭わず、何度でもトライする。人が、愚かすぎて聞かなかった質問に答えようとすることなんです」(ランガー氏)

逆境に立ち向かい続けた研究者としての信念

何とか大学に残れたものの、研究を続けていくのは容易ではなかった。当時、mRNAを使えばタンパク質を作らせることができるということはわかっていたが大きな欠点は、体内に注入すると激しい炎症反応を引き起こすことだった。しかし、カリコ氏はこの問題を克服できると信じていた。

だが、彼女に同調するものはひとりもいなかった。

「毎晩、毎晩、仕事をしていたわ。助成金! 助成金! 助成金!って」

「でも、返事はいつも、ノー、ノー、ノー」

「ある年の大みそか、一晩中申請書づくりの作業をしていたことがあって。締切が1月6日だったから、せっかく遊びに来ていた姉にも『ごめんなさい、このお金がどうしても必要なの』と謝ってね。この申請は、6案件まで受け付けてくれるもので7案件が提出された。その中で唯一落とされたのが、私のものだった。あとから知ったことだったけれど」

「でも、助成金の申請書を書くのは、イヤじゃなかったのよ」

と彼女は言う。多くの研究者は研究の妨げになるからと、書類作成などに手間のかかる助成金の申請を嫌った。しかし、カリコ氏は、申請書を書く過程を「自分の考えに磨きをかけるいい機会」と捉えていたのだ。

「申請書を書くのが好きだったの。そのためには、すべての工程と研究を見直さなければならないから。実験についても見直せるいいチャンスと思っていたわ」

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