閉館は惜しい、「京急油壺マリンパーク」の存在感 三浦半島のレジャーの"定番"、53年の歴史に幕

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京急油壺マリンパークの取締役営業部長、金子和久さんは「相模湾に面して自然に囲まれた水族館なので、ほかの大型施設と違い、都会から癒やしを求めてきてもらうにはぴったりの場所だった」と語る。花形のイルカ・アシカのショーやペンギン、カワウソ、サメたちがとくに人気があり、田植えやメダカの飼育といった自然に触れる体験ができるのも強みだった。

京急油壺マリンパークの金子和久営業部長。子供のころから絵を描くのが好きだったという(記者撮影)

「高校は進学クラスだったが、水族館がある『サンシャイン60』の喫茶コーナーでアルバイトをしていて、水族館っていいな、と思い就職した。それまでは親父と釣りをするくらいしか魚に縁がなかった」という金子さん。1980年の入社以来、最初に配属された飼育部でアマゾン川などの魚類を担当したのを皮切りに、40年以上にわたってマリンパークでさまざまな業務を経験した。

絵を描くのが得意で解説板の魚を自ら描いた。海獣担当のときにはショーに出演するイルカを調教。「いまはお利口さんのイルカだが、当時はプールに入ると噛みついてきた」と笑う。1998年に大水槽でマグロを展示した際には、毎日未明に起床して漁師と一緒に海へ出て、定置網で魚を集めた。「網の中に落ちたこともあるし、毎日違う魚が入って魅力があった」(金子さん)。

「心の中に残る水族館に」

マリンパークの閉館が発表された5月以降、別れを惜しんでさまざまな客層が訪れるようになった。駐車場はたくさんの車で埋まり、三崎口駅正面の「三崎マグロ駅」の駅名標の下にある路線バス乗り場に長い列ができた。

来館者は7月に約4万4000人、8月は約6万2000人と、それぞれ1974年、1993年の同じ月の水準のにぎわいを取り戻した。9月中旬に訪れていた若い女性の2人連れは、イルカ・アシカショーを観覧した後「やっぱり地元では遠足の定番でしたからね」と振り返っていた。

営業部長の金子さんも「開館当時にご夫婦で撮影したとみられる写真を手にした男性から『これを撮ったのはどのあたりでしょうか』と尋ねられたので、その場所まで案内した」という。

どこか昭和の香りがするのが魅力の1つだったが、多くの人と閉館を惜しむ気持ちを共有できる“今どき”の方法がある。京急電鉄などはクラウドファンディングで資金を募り、展示室をバーチャル空間に再構築した「VR京急油壺マリンパーク」を2022年夏にインターネット上で公開する考えだ。集めたメッセージや写真を展示する「想い出館」も製作するという。

また、マリンパークの公式インスタグラム上では「#油壺マリンパークlove」のハッシュタグを付けて思い出の写真を投稿してほしいと呼びかけている。金子さんは「マリンパークが閉館しても、いつまでも皆さんの心の中に残る水族館であるとうれしいです」と話していた。

橋村 季真 東洋経済 記者

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はしむら きしん / Kishin Hashimura

三重県生まれ。大阪大学文学部卒。経済紙のデジタル部門の記者として、霞が関や永田町から政治・経済ニュースを速報。2018年8月から現職。現地取材にこだわり、全国の交通事業者の取り組みを紹介することに力を入れている。

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