東アジア反日武装戦線を追った映画にこもる意味 なぜ彼ら彼女らは虹をかけようとしたのか
だが、戦前戦中ばかりか戦後日本の加害性までを深く内省し、徹底して思いつめ、ストイックなまでに身を律して行動に移した若者が1970年代の日本にいた。結果として多くの人の命を奪い、傷つけることになってしまったが、そうした若者たちの存在に光を当てたドキュメンタリーが現在の日韓でどう受けとめられるか。
せめて小さな芽になってほしい
もちろん、1本のささやかなドキュメンタリーが両国関係を大きく突き動かす可能性はないだろう。ただ、最悪状態に陥った両国関係を憂う心ある者たちの意識にさざなみを立て、互いの過去と未来をあらためて捉え直す契機にはなる。
そう直感したからこそ、キム・ミレという韓国人女性はこのドキュメンタリーを手がけたのではないか、というのは私の妄想に過ぎないが、せめて小さな芽になってほしいと切に願う。
もう一点、事件の凄惨さがもたらす過剰な悲愴感が薄いのも本作の特徴といえる。作品内でカメラを向けられた者たちも存外に率直な想いを吐露し、それが淡々と映像化されている。韓国人女性の手で制作されたせいもあるだろうし、事件から半世紀近い時の経過がそれを可能にした面もあるだろう。
考えてみれば、「反日」という言葉のニュアンスもすっかり反転し、時の政権にまつろわぬ者への罵倒語に堕してしまった。狼部隊を率いた大道寺将司も獄死してすでに世にない。
しかし、東アジア反日武装戦線を名乗って一連の事件を引き起こした若者たちの思想と実像を捉え返す時期がようやく訪れたともいえないか。そして、本作がほとんど触れなかった命題については特に深く考察せねばならない。
なぜ彼ら、彼女らは虹を架けようとしたのか。もし虹が架けられていたら、現在の情景はどうなっていたか。本作に重大な欠落部分があるとすればそこだが、むしろそれは日本に暮らす私たちが考え抜く命題と捉えるべきだろう。
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