20代ほど「がん検診の被曝リスク」が高い理由 健康のために「健康を害する」日本人の盲点
あまりに酷な「がん治療」の現実
私が医師としてのキャリアをスタートさせたのは、大阪府立成人病センター(現・大阪国際がんセンター)です。
既存の考えに対して「ほんまかいな?」と投げかける好奇心と、突拍子もない発想や発言を「おもろいやないか」と受け止める度量がある、一風変わった病院でした。自由闊達な空気に満ちた病院で呼吸器内科医としてたくさんの肺がん患者さんを診ることになるのですが、かなり厳しい状態の患者さんが多かったのを鮮明に覚えています。
今は肺がんによく効く抗がん剤も出てきましたが、当時はそんなものはありませんでした。進行した肺がんの患者さんに対して効果的な治療は皆無に等しかったのです。
その頃、アメリカのがん専門医にインタビューした調査報告書が発表され、そこでも「自分が進行した肺がんと診断された場合、抗がん剤治療はしない。痛みを取り除くことに専念する」と回答した医師が大多数と記されていたほどです。
患者さんの苦痛をやわらげることはもちろん大事なことですが、治療らしい治療はなにもできず、「死に水をとるだけの日々やないか」と苦しい思いを抱えていました。
「患者さんを治すために医者になったんだ。こんなことをするために医者になったんじゃない」
そう言って同期の二人の呼吸器内科医は診療科を変更しました。若い医師にとっては、あまりに酷な「がん治療」の現実だったのです。
勤務していた病院は、がんにおいては日本でトップクラス。診断や治療のほか、がん検診の開発や評価もおこなっていて、検診のあり方にも目を向けていました。
「もっと早く病院に来てもらう=手術できる患者さんを増やす」ためには、治療の導入部に当たる「がん検診」の役割を拡充する必要があるのではないか。がん検診にまつわる情報やデータを整理する研究が必要なのではないか。
がん検診に焦点を当てた研究に、現状を変える兆しを感じ取るとは、やっぱり変わった病院だったと思います。
「じゃあ、研究のほうもやってみるか?」と話が進み、私は臨床と研究の二足のわらじを履くことになったのでした。患者さんを診つつ研究も進めるのは体力勝負なところもあり、大変は大変でしたが、2つの領域をつなぐ作業は刺激的なものでした。
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