「民主主義」「人権」に絶対的価値は存在しない あふれるフェイクニュースから真実を見いだす方法
1991年にユーゴスラビアではスロヴェニアとクロアチアが西欧に承認され、独立したことで、一つの構図ができあがる。それは「独裁的」セルビアの悪と「民主的」クロアチアの善という構造である。これは、さかのぼればオスマントルコ帝国(東)の支配圏とオーストリア=ハンガリー帝国(西)の対立でもあった。
第1次世界大戦以後のオーストリア=ハンガリー帝国の解体によって、オーストリア=ハンガリー帝国の一部のスロヴェニアとクロアチアは、セルビアとともにユーゴスラビアを形成する。クロアチアのスラボニア地方はセルビア人が居住しているのだが、クロアチアの独立によって対立が激化する。そこに民族対立をあおるフェイクな報道が西側からなされる。
多くの報道は、クロアチア民族に「有利な」報道であり、セルビア民族に対する報道は「悪意」に満ちたものであったといえる。クロアチアのザグレブに西側の記者が滞在し、クロアチアからのみ戦況を見たことがこの偏見の始まりであった。
ユーゴ内戦もフェイクニュースに踊らされた
セルビア側が西側に報道をしっかりしなかったことにも原因はあった。しかし、セルビアの行動はつねに非難され、多くのセルビア人が逮捕されハーグ国際裁判にかかる(ドゥシコ・タディチ『ハーグ国際法廷のミステリー』岩田昌征訳、社会評論社、2013年参照)。
ジャーナリストであるピーター・ブロックは、このユーゴスラビア紛争の偏向報道を扱った書物『戦争報道メディアの大罪』の中でこう述べている。「新世界秩序のもとで、アメリカはその世界支配に抵抗する新興国に対し、かつてない破壊力をもつ大量殺戮兵器を完成しつつある。すなわち経済制裁で始まり、政治・社会の崩壊へとつながり、侵攻を占領で終わるセルビアモデルである」(2ページ)。
「セルビアモデル」とは、最初に悪のイメージを植えつけ、有利に戦うという情報操作によるソフト戦略のことである。そのモデルの基本には、西欧的「人権と民主主義」という錦の御旗がある。だからこそ、これを否定するのは簡単ではない。堂々と批判すると、西側からのメディア一斉攻撃にさらされる。
西欧支配は、植民地といった物理的な意味での支配だけではない。価値観という精神的支配が存在する。冷静なジャーナリストと言われる人々も、この偏見から簡単に脱却できるわけではない。西側ジャーナリズムが見る視点にも、偏見があるのだと説明することは簡単ではない。だからこそフェイクと知らずにフェイクを信じることになる。
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