湯浅:乙武さんはそういうことないですか。自分が過去に書いた本を読み返すと、今と考えが違うようなことが。
乙武:考えが変わったというより、「そうとらえられるのか」という誤算はありましたね。いちばん大きいのは最初の本(『五体不満足』)ですよ。それまで障害者というのは「かわいそうな人」「不幸な人」であると思われていた。確かにそうした側面もあるかもしれないけど、僕自身は障害者として生まれて、毎日幸せに暮らしている。そんな人間もいるのだと伝えたくて、あの本を書いた。つまり不幸に寄りすぎたイメージを真ん中に戻したくてあの本を出したのですが、あまりにも多くの方に読まれたために、今度は「なんだ、障害者も幸せなんだ」というイメージに寄りすぎてしまった。
障害当事者や家族からクレームや批判が届いた
湯浅:そんなつもりはなかったのに?
乙武:はい。そこで何が起こったかというと、ある種のクレームや批判が届くわけですよ。クレームを寄せてくるのは、ほとんど障害当事者か、そのご家族や支援者でした。どういう批判かというと、「お前は恵まれている」というものです。「おまえのように親に愛され、周囲に応援されて生きてきた障害者なんか、ほとんどいないんだ。たまたまラッキーだった人生をそんな大々的に語られても、みんながそううまくいくわけじゃないんだ」とか、「おまえみたいなやつが出てきたおかげで、『乙武さんだってああして頑張ってるんだから、あなたも頑張れるはず』と、おまえと同じ頑張りを強要された。どうしてくれるんだ」などなど。
これは本当に想像もつかなかった。僕は養護学校ではなく、地域の学校で健常者とともに育ったもので、特に障害のある友人がいなかったんですよ。だから自分以外の障害者の境遇や困難を知らなかった。まあ、だからこそ書けた本ではあったのでしょうけど。
期せずして障害者の代表のように扱われるようになり、いくら自分のことを語っているつもりでも、世間からは「障害者はこうなんだ」と受け取られてしまう。そのあたりのもどかしさは、今でも感じることがありますね。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら