「ホロコーストの罪人」が伝える忘れてならぬ史実 大戦中ノルウェーで起きたユダヤ人迫害を映画化
1942年10月になると、チャールズたちユダヤ人男性たちが、理由もなくベルグ収容所へと連行されてしまい、そこで厳しい監視のもと強制労働を強いられることとなった。一方、取り残された母、そしてチャールズの妻は、ノルウェーに残って夫や息子たちの帰りを待つことにした。
だが、彼らが不在の中、家に突如、接収委員会の職員が押しかけ、次から次へと金目のものを物色、資産を没収してしまう。政府の圧力は日に日に強まっていたが、そんな中、いよいよユダヤ人女性や子どもの強制連行がはじまった――。
1983年生まれのスヴェンソン監督は、マルテ・ミシュレが、ブラウデ家に焦点をあてて描き出したノンフィション本を手にする。そこにはホロコーストによって引き離されてしまった家族、そして当時のノルウェー人がユダヤ人に対して行った行動について描かれていた。
自分の身近なところで起こっていた悲劇に対して、自分がいかに無知であったか、ということに気付かされたスヴェンソン監督は、「自分がこの作品を映像化しないのであれば、映画そのものを作り続ける意味はないのではないかと思った」と思うほどに、この作品を作ることに使命感を抱いたという。
登場人物一人ひとりの視点に近いものにした
圧倒的な軍事力を誇るドイツ軍は、1940年6月にノルウェーをドイツの占領下に置くことに成功。当時のノルウェー国王だったホーコン7世をはじめとした政府要人たちはイギリスへ亡命した。
第2次世界大戦当時、ノルウェーにはおよそ1600人のユダヤ人が暮らしていたというが、1942年になるとノルウェーに住むユダヤ人たちが次々と強制収容所に移送される。映画によると、戦時中に強制収容所に移送されたユダヤ人は773名で、そのうち735名の命が奪われた。ソ連軍によるアウシュビッツ解放は1945年1月、そしてドイツ降伏とノルウェーの解放、さらにベルグ収容所のユダヤ人が解放されるのは5月のこと。それまでに生き残ったノルウェー系ユダヤ人はわずか38名だけだった。
それまで友人関係だったはずの隣人が、いつの間にか自分に危害を加える者に手を貸していた。その変貌ぶりは恐怖であると同時に、胸を締め付けるような悲劇でもある。
「実際に起きた出来事、特に本作が基になっている内容について誠実でありたいと思った」と語るスヴェンソン監督は、「本作では、大きな政治的内容や戦争映画の“お決まり”の内容ではなく、ひとつの家族、そして登場人物一人ひとりの視点に近いものにしました。観客がノルウェーで実際に起こったホロコーストの被害者に共感できるようにしたかったんです」と本作製作の意図を明かす。
くしくも本作と時期を近くして『アウシュヴィッツ・レポート』(7月30日公開)、『沈黙のレジスタンス ~ユダヤ孤児を救った芸術家~』(8月27日公開)といった、ホロコーストを題材とした映画が国内で次々と公開される。オリンピックの開会式をめぐる騒動で、ホロコーストの問題がクローズアップされた今だからこそ、あらためてこの問題を考える機会を持つのも必要ではないだろうか。
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