髙村薫「日本の鶏生育環境はNOを突き付けられる」 家畜の尊厳をめぐる国際的で戦略的な議論を

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しかし、鶏1羽につきB5判のスペースと言われるすし詰めの飼育方法は、いまや世界のなかできわめて旗色が悪い。私たち日本人は鶏を、おおむね卵を産む家禽(かきん)としか見ていないが、欧米では1980年代以降、感情も尊厳もある生きものと見るアニマル・ウェルフェアの考え方が主流になり、多くの国がすでにバタリーケージを廃止している。さらには、ユニリーバやネスレなどのグローバル企業やマクドナルドも平飼いの卵しか使用しないことを宣言しているほか、東京オリンピック・パラリンピックに参加する海外アスリートから日本の養鶏や養豚の現状に抗議する声も上がっていると聞く。

とはいえ、この問題はビジネスや消費の倫理の問題以前に、そもそも家畜に生命の尊厳を認めるか否かという個人の価値観に端を発する話であり、商業捕鯨の是非と同じく妥協点を見つけるのはきわめて難しい。すでに欧米では当たり前なのだから日本も積極的に取り組むべしという、そんな単純な話ではないのだ。

鶏については各国の意見が対立

もちろん、そこにビジネスの利害が加わるため、問題はさらにややこしくなる。世界182カ国・地域が加盟する国際獣疫事務局(OIE)は家畜ごとの飼育基準を定めているが、鶏については各国の意見が対立していて、いまはようやく3次案にこぎつけた段階である。そこではケージへの巣箱や止まり木設置について義務化までは求めないという妥協が図られたようだが、9割がバタリーケージ飼いという日本の養鶏業者の反発は当然で、鶏卵生産・販売大手の代表から元農水相に6年間で1800万円もの現金が渡っていたのも、止まり木などのOIEの設置基準に反対するよう、農水省に働きかけるためだったとされる。

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そして、日本政府は業界団体の圧力の下、理由にもならない理由をつけてぐずぐずと反対を続けているのだが、このままではいずれ世界から強烈なNOを突きつけられることになろう。日本は1個20円で清潔な卵が食べられる現在のバタリーケージ飼いをやめる必要はないが、せめてケージの何割かは1 羽あたりのスペースを増やして止まり木や巣箱を設置してもよいのではないか。そのために卵の単価が上がっても、消費者も毎日食べる卵かけご飯を2日に1度にすればよいだけのことだろう。

日本が商業捕鯨をめぐる手痛い敗北から学んだのは、価値観の衝突に対しては科学的根拠も経済原理も利かないということだった。その上で世界の潮流を厳しく見極め、引くところは引く戦略的な立ち回りが必要だったのだが、アニマル・ウェルフェアについても同じことが言える。ケージの止まり木は鶏の福祉のためではなく、鶏のストレスを軽減して丈夫な個体に育て、品質と生産性を上げるためだと思えば、日本の業者も積極的に設置して損はないはずだ。

髙村 薫 作家

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たかむら かおる / Kaoru Takamura

1953(昭和28)年、大阪市生まれ。作家。1990年『黄金を抱いて翔べ』でデビュー。1993年『マークスの山』で直木賞受賞。著書に『晴子情歌』『新リア王』『太陽を曳く馬』『空海』『土の記』等。

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