髙村薫「ふわっとした日本人の憲法観が危うい」 憲法に対する政治の不実は暴走と紙一重である

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(写真:まちゃー/PIXTA)
新型コロナウイルスの登場により、私たちは政治・経済から行政、科学・医療まで、さまざまな分野で非効率化と劣化が進み、諸外国から周回遅れとなった日本の<いま>にはじめて気づいたのである――。(『作家は時代の神経である: コロナ禍のクロニクル2020→2021』あとがきより)
『黄金を抱いて翔べ』『レディ・ジョーカー』『土の記』など数々の代表作を持つ髙村薫氏が「時代の神経」たる作家の感応力で厳しく、深く日本社会を考察。『サンデー毎日』に連載している週1本の時評をまとめた『作家は時代の神経である: コロナ禍のクロニクル2020→2021』の一部を抜粋し、掲載する。
第1回:髙村薫「私が急造のデジタル法案に唖然とした訳」(8月2日配信)

憲法改正の機運はまったく盛り上がらない

(『サンデー毎日』2021年5月30日号より) 

連休が明けてすぐ、3年越しの国民投票法改正案が衆院憲法審査会で修正可決された。もちろん憲法改正のための国民投票法であるが、改正案自体は大型商業施設への投票所の設置や期日前投票の運用拡大など、とくに異論を唱える必要もない内容である。もっとも、憲法改正の発議につながるとして一貫して後ろ向きだった立憲民主党が、テレビCMなどの規制について「施行後3年をめどに必要な法制上の措置その他の措置を講ずる」という付則をつける修正案を提出、ここへ来て一転して賛成に回ったのが異様といえば異様だが、国民投票法改正案の成立という画期に比べれば、小さなことではあろう。

さて、必要があればいつでも憲法を改正できるようになったとはいえ、現実は依然として不透明そのものである。何より、こうして改正案が本国会で成立する見通しとなっても、総じて私たち国民の関心は低く、憲法改正の機運はまったく盛り上がらない。一方、改正に前のめりの自民党も、その改正論議は実に不十分なものに留まり、9条への自衛隊の明記や緊急事態条項など、国民的議論を喚起するに足る内容をまったく伴っていない。

また私たち国民世論も、一昔前と違って、いまや改憲賛成と改憲反対がほぼ拮しているのだが、なぜ改憲が必要なのか、あるいはなぜ改憲は不要なのかについて、どちらも確たる信念や理由があるわけではない。この現状を眺めれば、国民投票のための法律はできたものの、憲法改正の発議までの道のりはなかなか遠いと言うほかはないだろう。

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