髙村薫「ふわっとした日本人の憲法観が危うい」 憲法に対する政治の不実は暴走と紙一重である

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いや、そもそも憲法記念日などというものがあり、国会では長年にわたって憲法改正論が浮かんだり消えたりしてきた経緯があるわりには、各種世論調査で国民の6、7割がふだん憲法を意識することはないと回答しているのであり、私たちにとって憲法は実に空気のようなものでしかないのが現実である。

また、憲法改正を悲願としてきた自民党も、実際には、たとえば最高裁が違憲状態と判断した衆議院選挙の一票の価値の格差是正に熱心ではないし、政府は憲法53条に定められた臨時国会召集の義務を平気で無視したりもする。さらには、憲法の制約上どうにもならないとみれば、条文の解釈を変更して集団的自衛権行使の一部容認に道を開くということもやってのける。このように随所で憲法を無視、あるいは軽視してはばからない政権与党が憲法改正を唱えるのはいかにもうさんくさい話であり、大部分は支持基盤である保守勢力へのおもねりだろうと考えられるゆえんである。

私たちはもう少し言葉をもたなければならない

とはいえ、憲法に対する政治の不実は、目的のためには手段を選ばない暴走と紙一重である。現に前政権はかつて、全議員の過半数の賛成で憲法改正の発議ができるよう憲法96条1項の改正をもくろんだこともあった。これはさすがに実現しなかったが、うっかりしていると私たちの自由はいつなんどき権力によって一方的に強奪されないとも限らない。ときに「ふわっとした」と形容されることもある日本人の憲法観は、このように確固としたかたちをもたないゆえの危うさをはらんでいるのである。

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改憲に賛成であれ反対であれ、私たちはそれぞれもう少し言葉をもたなければならない。なぜ改憲が必要なのか。先般の集団的自衛権行使容認だけでは足らないのか。9条に何をどう書き足すべきなのか。あるいは、改憲はなぜ不要なのか。自衛隊を明記しなくてよいのか。一票の価値の格差は2倍もあってよいのか。婚姻が「両性の合意のみに基いて」とされる24条はそのままでよいのか、などなど。

改憲賛成の人も反対の人も、自民党が新たに創設を狙う緊急事態条項の中身を正確に理解しているだろうか。有事や災害などの「緊急事態」のときに、たとえば先の憲法96条1項の改正を自由にやってしまえる権限を内閣に与えるものだと言えば、改憲賛成の人でもぎょっとするのではないだろうか。

この緊急事態条項の自民党案を見る限り、論理の言葉をもたない「ふわっとした」憲法観が私たちを連れてゆく先は、民主主義国家の終わりだと思って間違いない。

髙村 薫 作家

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たかむら かおる / Kaoru Takamura

1953(昭和28)年、大阪市生まれ。作家。1990年『黄金を抱いて翔べ』でデビュー。1993年『マークスの山』で直木賞受賞。著書に『晴子情歌』『新リア王』『太陽を曳く馬』『空海』『土の記』等。

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