無観客提言の分科会委員語る「五輪中止の現実味」 感染症の専門家として訴えたいことの本質

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去年の3月の末、今年もそうですが、お花見に行っていいか悪いか、メディアなどにもずいぶん取り上げられていた。僕は行ってもいいと言っているし、自分でも家内と行きました。混んでいるところ、混んでいる時間を避ければ、“花見”はできる。

でも、みんなが言っているお花見は、花だけを見るのでなくて、名所に行く、一緒にごはんを食べて、場合によっては宴会をやって、がお花見でしょ。花見の“コア”は何か、花を見ることですよ。僕は常々言っているが、人は残念ながらコアをすぐに忘れる。確かにそれはそう、周りのほうが面白いから。

人間は楽しまずして生きていくことはできない。人間は楽しむために生きている。そこに完全な制限をかけることは無理なんですよ。しかし、そうであればリスクを減らすことを言わなきゃいけないし、考えなくてはいけない」

オリンピックも「コア」となる競技を重視することで可能になる、それが岡野の考え方だった。そこに直面する状況と、必要なものの優先順位を考えれば、観客の動員の善し悪しはおのずと見えてくるはずだ。

「最終的な判断者」が誰かわかりにくい

オリンピックまで2週間。ここへ来て東京には4度目となる緊急事態宣言の発出が具体化してきた。宣言下でのオリンピックが現実味を帯びる。それによるオリンピックへの影響もあるのか。

「それは対応が変わってくる」

極端なことを言えば、前日でも中止はあるのだろうか。

「危機管理の問題。本当に危なそうなときには、柔軟に考えないといけない。ラウンドテーブルの中でも、『危機管理は柔軟で迅速な対応が重要』というような発言があった。リジッド(硬直的)に考えることでない。例えば、津波がある場所で、一番安全なのはそこにいないこと。でも、それを推し進めてしまうとゴーストタウンになってしまう。人が暮らすためにはバランスの取れたことをやらないといけないわけで、しかし、危ないぞ、となったらさっと逃げないといけない、そのタイミングは号令をかける人がやらないと動かなくなる」

では、号令をかける人、とは誰をさすのか。

「危機管理をやる人。危機管理担当の長でしょう。デシジョンするとなると東京都のトップなのか、首相なのか、大会委員長なのか、IOCなのか。本当のデシジョンメーカー(最終的な判断者)は誰なのか。そこはわかりにくく、明確にしてほしいところです」

(文中敬称略)

青沼 陽一郎 作家・ジャーナリスト

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あおぬま よういちろう / Yoichiro Aonuma

1968年長野県生まれ。早稲田大学卒業。テレビ報道、番組制作の現場にかかわったのち、独立。犯罪事件、社会事象などをテーマにルポルタージュ作品を発表。著書に、『オウム裁判傍笑記』『池袋通り魔との往復書簡』『中国食品工場の秘密』『帰還せず――残留日本兵六〇年目の証言』(いずれも小学館文庫)、『食料植民地ニッポン』(小学館)、『フクシマ カタストロフ――原発汚染と除染の真実』(文藝春秋)などがある。

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