引越し46回!職も転々「江戸川乱歩」の意外な人生 ラーメン屋台を引きチャルメラを吹いたことも
この建物は店舗部分のほか1階に4畳半の部屋、2階に6畳の部屋があり、乱歩の部屋は2階の6畳だった。この部屋には、鳥羽造船所に勤務していたころの同僚である井上勝喜が転がり込んできており、2人で探偵小説の筋を考えたり、未読の探偵小説を一方が朗読し、データが出そろったところで犯人を推理したりしたという。同好の士とともに、探偵小説で夜が明け、探偵小説で日が暮れる時代だった。
乱歩のデビュー作となる『二銭銅貨』の筋は、このころ考えられたもので、その冒頭は次のように始まる。
売れ行きは悪くなかったラーメン屋台
古本屋はまったくの営業不振であり、乱歩はチャルメラを吹いてラーメン屋台を引くこともあった。うまくいくと一晩に10円以上の売り上げがあって純益が7円ほど、悪くても純益3、4円を下ることはなかったという。
売れ行きは悪くなかったようだが、これは半月ほどで止めてしまったらしい。というのもこの時期に村山隆と結婚をしており、乱歩は屋台を引いている場合ではないと考えたようだ。しかし、貧窮生活は一向に改善されず、隆の持って来た衣類も次々と質入れされ、生真面目な隆は新婚早々驚愕することになる。
『二銭銅貨』を執筆した時の乱歩は、大阪府北河内郡守口町の父親の家に居候の身となっていた。三人書房を売却した後も職を転々とするが続かず、無職となって妻と幼い息子の3人で父親の家に住んでいたのである。
この家には4畳半3部屋と6畳1部屋の計4部屋しかなかったが、そこに乱歩の家族3人に加えて父母、弟2人、妹1人が居た。この肩身の狭さと窮乏の中で書き上げたのが『二銭銅貨』だったのだ。
ただ、この時期に貧困にあえいでいたのは乱歩だけではない。大正の大恐慌は第一次大戦による急激な経済成長とインフレから一転しての不況であった。「玩具」の貨幣が重要な役割を果たすこの小説の背景には、同時代の貨幣価値の不安定さと貧困の広がりがある。
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